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日々雑感(2017)



12 月 10 日 サウンドトラック
「パレードへようこそ」の劇中曲に聞きたい曲があったので、サウンドトラックを探しました。その結果、日本国内でこの映画の
サウンドトラック CD は購入できないことが分かりました。ダウンロードでしか購入できないのです。

未だに LP も聞いているウチにおいて CD は比較的新しい音楽媒体です。しかし、その CD ですらもはや購入できなくなりつつあるらしい
のです。いやはや、世の中どんどん便利になっているそうですけど、私にとってはどんどん不便になっているようにしか見えません。
なぜでしょう?

12 月 10 日 パレードへようこそ
「わが谷は緑なりき」、「ブラス」、「フルモンティ」、「リトル・ダンサー」と聞いてピンとくる人は映画通ですね。これらの映画に共通している
キーワードは「ウェールズ」、「炭鉱」です。このキーワードに当てはまるイギリス映画「パレードへようこそ(原題:Pride)」を見てきました。
まさか、見逃していた映画を松山で見られるとは思っていませんでした。偉いぞ、「松山映画祭」。

ときは 1980 年代、サッチャー政権の圧政のもと、炭鉱でストを続ける労働者と、一見、何のかかわりもないマイノリティの団体との実話に
基づく映画です。

いい映画の予感のもと見に行ったところ、想像以上によい映画でした。想像もしないラストシーンに涙が止まりませんでした。何で、
ウェールズの炭鉱を舞台にするとこのような傑作が生まれるんでしょう。

そういえば、日本にも福島県いわき市を舞台にした「フラガール」という映画がありました。これも、ストーリー、音楽ともによい映画でした。
こちらは、閉山後の話ですけど、話の発端は炭鉱です。そのいわきの炭鉱には「一山一家」という考えがあったそうで、「結束」とか「連帯」を
意味したようです。連帯 = Unite は「パレートへようこそ」でも出てくる重要なテーマ。洋の東西を問わず、炭鉱には「連帯」がつきもので、
そこから、人の琴線に触れるストーリーが生まれるということかもしれません。

「パレードへようこそ」、お勧めです。

12 月 10 日 ララランド
見逃していた「ララランド」を松山で見てきました(ネタバレあり)。アカデミー賞 6 部門受賞のミュージカルです。オープニングのシーンや、
随所にあるダンス・シーンなど、かつてのミュージカルへのオマージュが満載ですが、とどめは、「The End」の下に入った、
Cinemascope, Hollywood, USA の文字でした。本当に好きな人が作ったんだな、と思わせる一言でした。

しかし、歌と踊りもさることながら、ストーリーにも強くひかれました。見終わった後、何かと似ているとモヤモヤ感じながら記憶を探ると、
たどりついたのは「ローマの休日」です。この映画の主人公の男女は成功を夢見ながらつきあっています。しかし、仕事の都合上、
別々の国で暮らさざるをえなくなり、疎遠になってしまいます。

仕事が成功し、別の男性と結婚して幸せに暮らしている女性が、かつて同じように夢をみた男性と一瞬だけ再会します。男性も、かつて
追いかけた夢で成功しているのでした。

別れ際、男性がふと見せた笑顔、目に涙をためながらそれに応える女性。このシーンが「ローマの休日」を思い出させたのでした。目は
口ほどにものをいうとあります。何も言わないけれど、その目はありとあらゆることを語っていました。残念ながら、二人とも自分の道では
成功したものの、その成功をかつてのように分かち合うことはできません。

しかし、この映画では、二人が見つめ合っているわずかな間に、二人が離れて暮らさなかった場合の一連のシーンが仮定の話として
フラッシュバックします。「別の異性と結婚していたらどうなっただろう」というのは、結婚している方が一度は思ったことのあるテーマ
でしょう。それをこの映画では見せているのです。

そんな点も、この映画の人気の秘密ではないかと思います。ストーリーを忘れるくらい時間をおいてから、また見たい映画です。

11 月 10 日 文化祭
うちの子は卓球部員です。卓球部にはオタク体質の子が多いことから、ウチではひそかに「お卓球部」と呼んでいました。なんでそういう子が
多いのか子供に尋ねたところ、学校規則でクラブに必ず入ることになっているため、運動嫌いなオタクが消去法で卓球部を選んだとのこと。
確かに、卓球部じゃ走り込みも筋トレもありません。

先日の文化祭では、 5 人組のユニットを組んでオタ芸なるものを披露して拍手喝采をあびていました。これで、名実ともに立派なオタクです。
トホホ。

11 月 10 日 堂が森登山
昨年、秋の石鎚山に登って味をしめたことから、今年も山登りを密かに計画していました。秋は暑すぎず、虫もおらず、空気が澄んで
景色がよいことから山登りには最適です。ところが、今年は台風 21 号をはさんで 10/14 から 22 まで雨が続いたことから、なかなか
行けませんでした。おまけに、10/28 にはまた台風が来るというじゃありませんか。

台風が来ると、道路や山に被害が出る可能性が高いため、台風 22 号が来る前に慌てて、堂が森に登ってきました。



石鎚スカイラインは台風 21 号の影響で通行止めになっていましたが、堂が森の登山口である梅が市までは問題なく行けました。
家を 6 時前に出て、8 時 30 分到着です。

林道を上がっていきますが、なかなか登山道になりません。不安になった頃、ようやく登山道の入口が出現しました。気温は 4 °なので
シャツ 1 枚だと寒いくらいです。でも、登り道を歩くうちに汗をかくくらいになると、寒さを感じなくなります。樹林帯を 50 分くらい歩いたら
少し傾斜が緩やかになったので休憩です。

毎朝散歩をしているので、足の筋肉はそこそこついていると思うのですが、毎度、毎度、登りになると足の筋肉の弱さを痛感します。

ぼやいていても頂上には着かないので、ゆるゆると登り始めます。台風のせいで、木の葉や枝が登山道を覆っており、足もとは状態が
よくありません。おまけに倒木がひどく、登山道を塞いでいる箇所が何か所もありました。



その都度、迂回したり、木によじ登ったりしながら進むので疲れが増します。歩いても歩いても一向に平坦にならず、おかしいなと思い
始めた頃、ようやく尾根にでました。歩き始めてから 2 時間です。笹原の先には頂上が見えます。



開放感を感じたのもつかの間、あの頂上までも、まだ登りが続きます。近そうで遠い頂上を見ながら、さらに 30 分歩いてようやく頂上に
着きました。



この日は快晴。360 度、遮るものがない山頂の見晴らしは最高です。隣の二の森や、その先の石鎚山もくっきり見えます。頂上の気温は
17 °ですが、空気は冷たく、日陰に入ると寒さを感じます。



隣の二の森へと続く尾根道には大変魅かれました。でも、二の森に登るには往復で 3 時間以上余計に歩かなければなりません。時間の
問題に加え、体力の問題があります。今回の登りでは思った以上に足の筋肉を使っており、下山時に膝痛が出る可能性があるからです。
膝痛の足での下山は避けなければなりません。

どう考えても、二の森には登れそうもないため、堂が森で引き返すことにしました。

結論からいうと、正解でした。下りは、足もとが悪いため、思ったよりも踏ん張ることが多く、最後の方は膝痛寸前でしたから。

美しい景色を独り占めできたので、今回はよしとしましょう。いつか登りたいぞ、二の森。

11 月 10 日 岩下コレクション
別冊モーターサイクリストを読んでいる頃から、存在は知っていたものの、湯布院にあるとは知りませんでした。家族で別府に旅行に行った際、
その先の湯布院で見つけたのが岩下コレクションです。



このコレクションの印象は、ざっと 4 点あります。



一つ目は、今はないメーカーのバイクが多数あること。現在、日本のオートバイ・メーカーは 4 社ですが、そこにいたる以前には 100 社
以上のメーカーがあったと言います。そんな、今はないメーカーのバイクが多数あります。ホンダがコレクション・ホールを設けて以来、
他社も自社製品に関しては何らかの形で展示しています。それでも、他社製品でしかも今は存在しないメーカーとなると、個人の所有物に
頼らざるをえません。古いバイクのイベントなどにいくと、今でも、DSU(BMW のコピー)やメグロ、ライラックなどは大事にしているマニアが
いるようです。それでも、個人所有では数台でしょう。こちらのように数百台というのはけた違いです。

二つ目は、ホンダを扱っていた頃のヨシムラのマシンがあること。具体的には、CB72 ? で、吉村(ポップ吉村)が東京に進出した頃のものと
思われます。ホンダのワークス・マシンもそうですが、この頃のマシンはいかにもハンマーで叩きだしたような無骨なタンクを搭載しており、
おせじにもスマートではありません。でも、いかにもその場その場で試行錯誤を繰り返した後が如実に感じられるような、この手のマシンは
企業のコレクションではあまり目にすることがないため、新鮮でした。それに、九州(福岡)は吉村発祥の地でもあるのでなおさらです。



三つ目は、ドウカティのアポロ。昔、別冊モーターサイクリストのドウカティ特集記事で写真を見たような気がしますが、現物を見たのは
初めてです。それもそのはず、世界に 1 台しか現存しておらず、ドウカティ本社から譲ってほしいと言われたそうです。イタリアのドウカティに
貸し出したところ、レストアして動くようにしてくれました。そもそも、メーカーが試作車を残していなかったことから分かるように、失敗作と言われて
います。このアポロ、こちらの目玉なので、手放したくない気持ちはよく分かります。でもね、ドウカティに譲ってあげた方が、バイクにとっても、
イタリアの人にとってもいいんじゃないかなあ。





四つ目は、国際的なサーキットが近いわけでもないこの場所に高橋国光やケニー・ロバーツが再三訪れていること。ケニー・ロバーツといえば、
フレディー・スペンサーの前に君臨した 500CC チャンピオンで、私が高校生の頃に活躍していました。一番新しい訪問日をみると 2016 年に
なってます。まあ、高橋国光は日本人なので別としてケニー・ロバーツはアメリカ人ですからね。ヤマハのホーム・コースである菅生サーキットの
ある宮城県にこのコレクションがあれば納得できます。でも、大分県ですよ。

館長さんに、ケニー・ロバーツが来ているとは驚いたと率直に伝えたところ、何でも、ケニ・ロバーツの奥様が熊本のご出身で、毎年のように
訪問してくれるとか。推測ですが、再婚したお相手が日本人なので、里帰りしているのでしょう。おまけに、「来週も来ますよ」とこともなげに
答えたのには仰天しました。

過去の写真と同様、奥様とタンデムでやまなみハイウエィを走ってくるのでしょう。カッコ良すぎるぞ、ケニー・ロバーツ。ファンだったら
見逃せませんね。

かつては箱根や富士五湖の周辺に点在していた自動車関係のミュージアムは、ほとんどがなくなってしまいました。こちらのコレクションも、
個人経営であることと、立地を考えると経営が厳しいのは想像にかたくありません。それでも貴重な産業遺産を残す意味で、何とか続いて
欲しいものです。

11 月 10 日 眼医者
約 10 年ぶりに眼科健診を受けてきました。ドライアイの指摘を受けたものの、緑内障、白内障を含め、異常はありませんでした。よかったの
一言です。というのも、最近、左目がよく見えないように感じていたからです。それに加え、昨年、今年と同い年の友人たちが網膜剥離で
失明寸前で手術を受けています。私だって仕事がら 1 日 8 時間以上ディスプレイ見ているから、人ごとじゃありません。

自分にも何か病状があるのではと不安におびえながらの受診だったので、嬉しさもひとしおです。丈夫な体に生んでくれた両親に
感謝しましょう。

9 月 15 日 中学生最後の運動会

中学生最後の運動会が、昨日、無事に終わりました。さかのぼれば幼稚園の 3 年間、小学校の 6 年間、そして中学校の 3 年間と
計 12 年間、毎年、子供の運動会を見てきた計算になります。



高校に入っても体育祭はあるでしょうけど、今までのようにお弁当を作って見に行くことはないでしょう。そう考えると、少し寂しい気がします。

でも、昨日は楽しいことがありました。それは、PTA の地区別対抗むかで競争で 1 位になったことです。4 人一組の走者で先頭だったため、
白いテープを切ることが体験できました。これって、生まれて初めてかも。55 歳になって運動会で 1 位を経験できるとは思いませんでした。

オヤジはいい気になっていたものの、見ていた子供は怪我するんじゃないかとハラハラしていたそうです。むかで競争、転倒すると先頭に
荷重がかかるせいか怪我することが多いんですって。親心、子知らずのまさに反対をいってしまいました。

でも、気分よかった〜。

9 月 15 日 バイク考(その3)
バイク欲しい熱はまだ続いています。4 月頃はヤマハ SR に興味がありましたが、少し前まではホンダ JADE 250 に興味があり、実際、
お店まで見に行ってきました。

佐田岬のメロディー・ラインや瀬戸内海沿いの国道 378 号など、比較的ペースの速い道を走ると、JADE のような 4 気筒の方が走り
やすいんじゃないかって思うわけです。それに、何と言っても並列 4 気筒のエンジンがかかったときのワクワク感、これは単気筒の
CBX では味わえません。この前も以前乗っていた XJ の夢を見たしなあ。それに、250CC で 4 気筒なんていう豪勢なバイク達は今後、
二度と発売されることはないでしょう。そう思うと、乗るなら今しかない!と思ってしまいます。

でも、先日、大野ヶ原に行ったことが契機となり、熱が冷めつつあります。なぜかというと、見通しの悪い林道などを走る際には、軽くて細い
CBX の方が圧倒的に有利だからです。

普段走っている道路の大半は、大野ヶ原への往復の際に走ったような 3 桁国道や県道、町道です。舗装しただけの林道で車 1 台分の
幅しかなく、ブラインド・コーナーだらけなのに加え、道には石や木の枝や葉がおちています。舗装はしてあっても通れるラインは 1 本しかなく、
ラインを外れると後輪がスリップしたり、対向車が来たらよけきれません。

軽い車体の CBX でもヒヤヒヤしながら走っているので、車重が 20 キロ以上重く、低速でパワーが出ない JADE にそういう道は向いて
ないんじゃないかと思うようになりました。

でもなあ、路面がいい道だと JADE の方が楽しそうなんだよなあ。迷いは当分続きそうです。

9 月 15 日 大野ヶ原
カルストと言えば山口県の秋吉台が有名です。でも、四国にも愛媛と高知の県境に、大野ヶ原というカルスト台地があるんですよ。
知ってました?なかなかいけませんでしたけど、ようやくバイクで行ってきました。

大野ヶ原は有名な割に道が整備されていません。大洲から行くにしろ、久万高原から行くにしろ、最後は細い道路を通らないと到達
できません。

バイクで行くのだからと、大洲の鹿野川ダムから向かったのが運のつき。林道の連続で疲れました。地図を見て、苦戦することは
覚悟していたら、やっぱり苦戦しました。何せ、標識に示された「大野ヶ原」を目指していくと、いつの間にか標識から「大野ヶ原」の
文字が消えてしまい、自分がどこにいるのか見当がつかなくなるんですから。


山の中でみかけた神社。この階段、登れるもんなら登ってみろ!と言わんばかりの急傾斜です。

分岐にさしかかるたびに止まって地図で確認したものの、その道が本当に地図に載っているかも分かりませんし、自分の場所が
分からないんですからたまりません。

幸い、大きなミスをおかすことなく、2 時間強で大野ヶ原の西端につきました。

台地というだけあって空が開けています。高地らしく、低地では 30 度を超えていたはずなのに、ここではメッシュのジャンパーでは
寒いくらいでした。とても冷たいアイスや牛乳をいただく気になりません。昔、北海道をツーリング中にお腹をこわしたことを思い
出します。あのときは心細かったなあ。

バイクを降りて歩いたりしたものの、写真で見た大野ヶ原のイメージと一致しません。何だか箱庭のようで、広大な印象を受けないのです。



昼食をしながら地図を見ていたら、大野ヶ原は地芳峠を境に西と東に分かれており、写真などで見る「大野ヶ原」は東側のようなのです。

危ない危ない。あやうく、西側だけ見て帰ってしまうところでした。早速、東側に移動します。西側は東側と違ってカルストの石が大きく、
そこら中にゴロゴロしています。やっぱり、こうでなくっちゃ。




大野ヶ原は、来るまでもそうでしたが、台地を通る道自体も細く、すれ違うためにいたるところで車が止まっています。観光地として今ひとつ
発展しない理由がよくわかりました。

行きの道はもうとおりたくないので、帰りは久万高原から内子に抜ける道で帰りました。行きよりはましとはいえ、こちらも細いクネクネ道です。

この日は、11 時に家を出て 19 時に帰ったのに、走行距離は 230km。いかに、スピードの出せない山道ばかりを走っていたか分かる
でしょう。疲れました。

9 月 15 日 今年も海に行けず
はや 9 月、結局、今年も子供と海に行けませんでした。昨年は夏休み中でも毎日クラブ活動がありました。3 年生となった今年はクラブを
引退したので、子どもとあちこち行けると期待したら大間違い。お盆の前までは「てやてや音頭」(八幡浜の踊りです)の練習のため、
毎日のように登校し、お盆をすぎたら夏休み明けの運動会に向けての練習ですって。ちっとも、自由な休みがありません。



愛南町に海水浴に行ったり、滑床渓谷でキャニオニングをしたかったなあ。来年は高校生、一緒に遊んでくれるでしょうか。

9 月 15 日 修理工場選びは難しい
歯医者に電話したら、日にちを指定され、その日に行ったら「電話を受けた者が不在のため、また違う日に来てください」って言われたら
どうします? 同じようなことを自動車修理工場で経験しました。

相手は、「創業70年以上の経験と実績」を誇る松山市の K 山自動車です。

7 月頃からゴルフ 4 が水漏れしているようなので、これを契機に他の修理工場を試してみようと、インターネットで検索したのが上記の工場。

工場が混んでいるとの理由から指定された日 (電話してから 9 日後) に行ったところ、電話応対をしたフロントの方が外出して不在なうえ、
情報が共有されておらず、事務所の女性は右往左往するばかり。

結局、1 週間以上前に電話で話した症状を別のメカニックの方に伝えたあげく、「代車が用意できる日に持ってきてもらえませんか」
ですって。そう言われたから今日持ってきたつもりなんだけどなあ。八幡浜から 70 キロも走ってきて悪い冗談を聞いているようでした。

結局、預かってもらうこともできず、乗って帰ってきました。

おそらく、このお店、松山で実績があるのは事実でしょう。さもなければ 70 年も続きません。ただ、私との相性が悪いのだと思います。
でも、松山ですらこんな具合なので、愛媛の修理工場探しは前途多難です。

ああ、何でも相談できた八王子の BRM さんがひたすら懐かしい。

7 月 23 日 どこも悩みは同じ
香川県丸亀市でホテルにチェックインした後、夕飯を食べに行くことにしました。丸亀市といえば、現存天守閣を有する人口 11 万人の街です。
フロント近くのおねえさんに街中で飲食店が多い場所はどこら辺ですかと尋ねました。知らない街の情報を最初に尋ねるのは宿泊先ですから。
でもお若いせいか要領をえません。

タクシーに乗りこみ、運転手さんに「飲食店が多いところに連れていってください」とお願いしたところ、お困りの様子。どうやら、ブラブラ散策
しながらお店を物色できるような場所がないらしいのです。「郊外なら焼肉や回転寿司、ファミリー・レストランが集まっているところがあります」
って、それはショッピング・モールでしょ。

先ほど、ホテルの方の回答が要領をえなかった理由がよくわかりました。丸亀も愛媛の街と同じで、街中が空洞化しているのです。愛媛で
いうと地元の八幡浜市はもとより、宇和島、今治にも立派な商店街はあるものの、郊外の店に客を奪われたシャッター商店街になっています。

かろうじて運転手さんお勧めの場所で降ろしてもらい歩いたところ、丸亀も町の中心部にあったお店が軒並み閉店してしまい、選べるほど残って
ないことが分かりました。

幸い、感じのよい居酒屋さんでおいしいものを食べることができたのでよかったのですが、四国の街にある悩みは、どこも共通であることを
実感したのでした。

7 月 23 日 攻めるメニュー



鳴門で撮ったアイスのメニューです。撮ったときは猛暑でボンヤリしていたので気づきませんでしたが、よく見ると「アレ?」です。チョコマーブル、
バニラ、抹茶、メロン、ストロベリーまではありがちです。すだち、やまももは特産品ということでよしとしましょう。アボガド、金時いも、ほしがきに
なると「ウン?」、なるとわかめには「???」です。結構、攻めているメニューですね。

7 月 23 日 偽物か本物か?
先日は家族 3 人でバチカンにあるシスティナ礼拝堂に行ってきました。



というのは大嘘で、行った先は徳島の大塚国際美術館です。トランプ大統領就任以来、世界にはフェイクが溢れていることから、フェイク
しか陳列していない美術館に行ったわけです(ホントかよっ!)。

この美術館は、世界の名作を原寸大で再現していることを売り物にしています。再現品であることから、写真を撮ったり触れたりすることも
自由です。また、一部の作品については、上のシスティナ礼拝堂の絵や次の絵のように、実際に絵が飾られている建物の内部ごと再現
しています。



再現方法は、オリジナルの絵を撮影し、その画像を板状陶器(陶板)に焼き付けています。なんで陶板かというと、鳴門には陶板に適した砂が
豊富にあり、大塚製薬の子会社が陶板を製造しているからです。自社(グループ)製品ということですね。

説明によると、絵画の表面の凹凸も再現しているかのように書かれています。油性絵の具で書かれた本物の絵画、特にゴッホの作品などは
凹凸が分かりやすいので、展示されている「ひまわり」に試しに触れてみました。わずかな凹凸はあるものの本物にはおよびません。

さすがに立体的な再現性は望めないものの、サイズは同一であるため、あの絵はこんなに大きかったんだとか、意外と小さいなどの
気づきもあります。

偽物の絵の功罪を感じながら、偽物と本物の差は何かとか、本物でなければならない理由は何かとか、本物を展示してある美術館では
思いもよらぬような考えが頭の中を駆け巡っていました。

この美術館で驚くのは展示品の数が 1000 点近くあることです。1000 点ですよ。今まで美術の教科書や本で見た海外の名作はすべて
見ることができます。また、年代ごとに展示しているので、共通したテーマや時代背景を読み取ることもできます。



西洋絵画の歴史を振り返るのには適しているような気がするものの、数の多さが災いしている感は否めません。というのも、目と頭が
飽和するだけでなく、とにかく時間がかかるからです。

ウチの場合、1000 点を見るのに、朝 10 時から午後 3 時までかかりました。最初はゆっくり見ていたのですが、このペースでは終わらない
ことに気が付いたので、流しながら見ていきました。食事の時間を除く 270 分の間に 1000 点見たので 1 分あたり 3.7 点の作品を見た
計算です。絵の見方として適切な見方ではありません。

ようやく最後にたどりついた結論は、ここが美術館ではなくて、美術をテーマにしたテーマ・パークだということです。そう考えたら納得できました。

7 月 23 日 こんぴらさん
折角、香川に行くんならとこんぴらさんにお参りしてきました。よりによって猛暑日の、しかも 13 時頃です。



まあ、門前町といいますか何といいましょうか、下世話な温泉街のような街並みと、旗を振って駐車場に車を呼び込むおじいちゃんやら
おばあちゃんやらが出迎えてくれました。

誰だよこんな暑い日にこんぴらさんに行こうって言い出したのは。俺か?、すまない。



言い出しっぺの手前、嫌がる妻子を叱咤激励して石段を登らせます。



ご丁寧にこんな張り紙も。うへ、あと 563 段もあるよ。



商魂たくましいお土産屋さんに、冷やし甘酒やジュース、アイスクリーム代、貸し杖などの代金を奉納しながら、何とか本殿までたどりつきました。

えーっと、こんぴらさんて商売の神様でしたっけ?

6 月 15 日 リビング・ミュージック
最近お気に入りの LP はリビング・ミュージックのユージン・フリーゼンです。LP の音が改善されたのを機に聞き直したら、やっぱりいいなあ
とつくづく思った次第。

リビング・ミュージックは 1990 年前後にはやったニュー・エージに分類されるレーベルです。ニュー・エージとは、自然や心象風景を
テーマにした音楽が特徴で、ウィンダム・ヒルが有名です。リビング・ミュージックはソプラノ・サックス奏者のポール・ウィンターを中心とした
レーベルのはずで、今回聞いているチェロ奏者のユージン・フリーゼンもポール・ウィンター・グループの一員です。

今にして思うと、よくもまあこんな売れなさそうな LP や CD を作っていたなあと思わずにいられません。チェロとピアノの 2 台による演奏で、
派手さは一切なし。

静かに流していると、心が落ち着いてくるような深い音色を楽しめます。最近は音楽媒体が売れなくなってきているので、このような CD が
今後販売されることはおそらくないでしょう。少なくとも、普通に生活して目にしたり耳にしたりすることはないと思います。

ジャズのように人気があるジャンルではないので、今も昔も中古市場での流通量は限られています。大事に聞いていかなきゃね。

6 月 15 日 歯並びのせい?
先日、Cool Japan というテレビ番組で「歯並び」の特集をしていました。この番組、日本在住の外国人から毎回異なるテーマで意見を
聞いています。

その中でアメリカ人の女性が、米国人にとって歯並びが悪いのは最悪と言い切ってました。何でも、アメリカ人は歯並びで相手の育ちを
判断するようなのです。歯並びが悪い人を見ると、「親は何してたのって思う」とか、「アメリカ人の親にとって大事なのは、子供の教育と
歯並び」と言い切ってました。

ちなみにアタクシの歯並びは最悪。兄は長男だからか矯正しましたけど、私は次男なので放置されて今日にいたっています。

20 代の頃、1 週間くらいアメリカの大学生と寝食を共にする機会がありました。友人や後輩が女子学生にもてているのを横目に、自分は
何でもてないんだろうと悩んだものです。ひょっとして歯並びのせいかもと思いついたのは後になってからのこと、そして今回、確信に
変わりました。

この説を家族に話したところ、カミさんと子供から「歯並び以前に問題があったのでは?」と、鋭い指摘を受けてしまいました。

そういやあ、学生時代、女の子にもてないのは歯並びのせいだと飲み屋でぼやいていたら、「女の子はおまえの口元なんか見ちゃいない」と、
口の悪い友人に一蹴されたのを思い出しました。

歯並びが原因じゃないのかなあ。


6 月 15 日 筒上山
今年 2 回目の山登りは、石鎚山近くの筒上山です。土小屋は石鎚山の登山口ですが、筒上山もここから登ります。9 時 30 分に登山開始。
コースの入口から道標がバッチリ立っており、南予の山とは大違いです。



見ごろを迎えているアケボノツツジがあちこちに見えます。



振り返ると石鎚山が。



筒上山に行くには岩黒山を経由します。岩黒山の山頂近くで大人数のお年寄りのグループに追いつきました。少しずつ抜いていくと、「後ろから
人が来たからどいてあげてー」と声をかけてくれます。それが申し訳なくて、「気にしないでゆっくり登ってください」というと、「あんたがいると
(邪魔で)仲間の写真がとれない」だって。そういうことなら遠慮は無用。さっさと追い越します。

山頂でゆっくり景色を楽しみたかったのですが、先ほどのグループで山頂がいっぱいのため、山頂を越えたところで小休止。
筒上山を見ると、一旦、鞍部に下りてから登り返すことがよく分かります。



鞍部まで下りてからは、自然林の中を上り下りしながら徐々に高度を上げていきます。岩肌をまいていく箇所が何か所もあり、結構ワイルド。

筒上山の山頂直下には、どこかのお寺の修行道場の建物があり、ちょっと興ざめ。この高台を越えないと山頂には着きません。写真で
見ると高いように見えませんが、実際には急こう配の石段を上ったあげくにえげつない鎖場があります。



石段の上から見るとこんな感じ。立っているだけで怖くなるような急こう配です。



鎖場もここらあたりはいいんですが、さらに上に行くと宙吊りのところを鎖だけを頼りに登る箇所があります。石鎚山の鎖場も怖いとはいえ、
足が地についた状態で鎖につかまるのが基本。ところがここには、地面から 2 メートルほどのところに鎖が浮いた箇所があり、地面に足が
届きません。



さすがに、この箇所はどうやって登るのか検討もつきませんし、私には危険すぎるので、ロープを使う迂回路を選択しました。
鎖場を登りきると笹原が出現。そこを 5 分も歩けば山頂です。

山頂からは石鎚連峰が順に並んでいる様子がよく分かり、爽快です。人も思ったほどおらず、昼食をとっている間もほとんど増えませんでした。
高齢者の方には最後の石段と鎖場はきつそうですからね。



山頂で出会った、地元の久万高原町にお住まいの方から色々と教えていただいて、往きとは別のルートで下山します。笹が茂ってコースが
わかりにくいものの、南予の山に比べるとましです。帰りは岩黒山を迂回するルートを選択。疲れた足には助かります。

14 時に無事、下山。石鎚山系には登りたい山が沢山残っているので、数年がかりで登ることにしましょう。


5 月 7 日 ラジオのCM
先日、車を運転しながらトヨタのラジオ CM を聞いていたところ、妙につぼにはまってしまい、思わず涙ぐんでしまいました。歌詞の内容は、
「二度と乗れないこの車。いつまで乗れるかわからないこの車。乗れるうちに目一杯乗ってやろう」というものです。

聞いていたら、2 年半前にお別れした E21 のことを思い出してしまい切なくなりました。今の車も目いっぱい乗ってやんなきゃね。

でも、ラジオからの歌詞は、その後に「親父の肩車」が続きます。クルマとはいえ、「肩車」をうたった歌詞でした。
ウチの中学生を肩車するのは、もう無理!


5 月 7 日 またしてもマダニ
実家の家庭菜園の土起こしをして 2 日後、お風呂に入ろうとしたところ、腰の当たりに突起があるのにきづきました。イボのように
出っぱっています。昨晩は気付きませんでしたし、何かに挟んだ記憶もありません。触っても痛みは感じず、しいていえば左右にゆらすと
根元が少し痛いようです。

カミさんを呼んでみてもらったところ、「足がついている」ですって。あちゃー、マダニです。土起こしの際に付いたのが血を吸って
膨張したのでした。




血が入ると膨張するなんて海綿体を想像しちゃいます。同じ膨張でも、こちらは感染症で死者がでているので、下手すると命に
かかわります。はやく病院でとってもらわなきゃ。

ちなみに、みかん農家の方はどうしてるんだろうと思い、くだんのおじいさんに聞いてみたところ、「かまれたことなんかないわい」ですって。
たまにしか野良仕事をしない私が 2 年連続でかまれたのに、何十年も山で仕事をしているおじいさんがかまれないなんて、
どういうこと!?(5 月 12 日追記)

5 月 7 日 四万十川でカヌー
今年もゴールデン・ウィークは子供とカヌーです。昨年、一昨年も肱川の同じ場所でカヌーを漕ぎました。さすがにそこのコースで行ける
ところは行き尽くした感があるので、今年は高知の四万十川に挑戦です。



四万十川の駅カヌー館が主催する半日のツーリングに申込みました。これが、首都圏に近い那珂川や利根川でしたら予約がいっぱいでしょう。
でも、カヌー館では幸い、前日でも予約がとれました。それでも、同じコースの参加者は 38 人だったので結構な数です。

場所が山の中なので、恰好はあまり気にしてませんでした。川だし、濡れるし、穴のあいたヤッケでもいいよねー、なんて。ところが、カヌー館に
行って、上から下までバッチリそろえた参加者を見て、都会の人が多いことに気づきました。ゴールデン・ウィークですもんね。油断してました。

まずは陸上で用具の説明から始まり、川で実地の訓練を少ししてから 4km のツーリング開始です。



やっぱり、行動範囲が決められているキャンプ場でのカヌーと違い、ツーリングは変化に富んでおり飽きません。トロ場もあれば急流も
あります。また、河口付近とは異なり流れがそこそこあるため、向かい風で漕いでも漕いでも進まないなんてこともありません。



4km のコースには流れの速い瀬が 3 箇所あり、嫌が応でも通らざるをえません。でも、1 箇所は明らかに初心者には難しそう。案の定、
沈している方がいましたよ。



行く前には、4km じゃあ物足りないかもと思いましたが、長すぎも短すぎもせず適度でした。10km も下るとさすがに腕や手首が痛くなりますからね。
今年も子供とカヌーを、憧れの四万十川で体験できて幸せでした。


5 月 7 日 子供の成長
昨年の秋以来、ひさびさに子供の卓球を見ました。成長を感じさせる試合ぶりでした。

先日、大洲市立体育館で大会が行われました。今月末には中学校生活で最後となる公式の大会があります。それに備えて、今治、松山など
県内の多くの学校が集まり、最後の練習試合に励んでいました。

昨年の春の大会では、ガラスの心臓が災いして実力を出し切れなかったようです。顧問の先生によると、試合になるとあがってしまい
実力を出せないとのこと。無理なスマッシュやバックハンドを連発して自滅してました。

秋の大会では、春にはほとんど入らなかったバックハンドが入るようになったり、強打のラリーが続くようになりました。でも、まだ緩急の
使いわけができない上、勝負を焦って無理なスマッシュをネットにひっかけて自滅してました。好機がくるまで待つ卓球は無理なようです。

昨日は、難しい球を無理にスマッシュしようとせず、返すだけに専念し、好機と見るやスマッシュを決めていました。攻撃のリズムも単調に
なることなく、相手がコートから下がると手前に短い球を返したりして、前後に揺さぶってさえいました。また、8-10 と負けていても、
そこからポイントを連取して逆転勝ちもしていました。昨年までですと、点差が縮まらずに負けていたケースです。

テクニックだけでなく、考える力や精神力も向上した様子。全体から見れば南予の選手の中では中程度の力でしょう。でも、自分の
足りないところを練習して、向上したのは一目瞭然です。

うちの子の中学は、今年の春に他校を統合しました。その関係で卓球部員が増えています。つまり、2 チームが 1 チームに統合される
ことになり、本来なら出場できたかもしれない選手が出られなくなります。

卓球の団体戦のチームはシングルス 4 人、ダブルスの 2 人の計 6 人構成です。ウチの子が担当するシングルスにはエース級が 2 人
います。残り 2 人の枠に対して候補者が 4、5 人いるため、残念ながら、ウチの子が選ばれるかどうかは微妙。試合当日にならないと
分かりません。

たとえ、公式の大会にでれなかったとしても、昨日の試合観戦で子供の成長を見ることができたので満足です。


5 月 7 日 今年最初の登山
今年になって初めて山に登りました。宇和島の権現山です。

とはいえ、最初から登山ありきではなく、いつものように子供の練習試合が宇和島であるので、送迎の合間の時間つぶしに登ったのでした。

以前、下見をした薬師渓谷から登ることにします。ガイドブックによると、おおまかなルートは薬師渓谷〜篠駄場〜あざみ峠〜山頂です。

登った感想を簡単に言うと、以下の 4 つです。
1 予想どおり登山道が荒れていた。
2 山頂からの景色は思ったよりもよかった。
3 鹿に遭遇して嬉しかった。
4 結構な高度差があったので疲れた。

南予の登山道が荒れていることは三本杭山、篠山で実感済みです。今回も予想どおり荒れていました。特に薬師渓谷と篠駄場の間です。
上りと下りで篠駄場の中を通るコースと、通らないコースを選択したところ、どちらも道あとが分からなくなっていたり、標識もテープもなく、
コースが分からなくなる箇所がありました。また、登山道の脇が崩落したり、足もとがガレ場のようになって歩きにくい箇所が多数ありました。

こんなふうに標識があるのはまれです。


山頂からの景色は、ガイドブックの記述から期待していませんでした。確かに山頂の背後まで森が迫っており開放感はありません。でも、
山頂にある神社の鳥居の先までいくと眼下に宇和島周辺を 180 度見渡すことができます。宇和島城や先ほど子供を降ろした体育館も見えました。





鹿については、歩いている最中、縄張りを荒らされた鹿が威嚇する鳴き声を聞きました。最初の 2 回は姿が見えず、3 回目に
林の中で 4 頭ほどの群れがこちらをじっと見ているのに気づきました。南予の山では鹿よけのネットをはっているところもあるので、
鹿がいるのは知っていたものの、ようやく目にすることができました。


高度差については、登った後から気付きました。標高 952m とさほど高くないのに薬師渓谷から 2 時間半もかかり、結構な距離を歩きます。
ナンデコンナニ疲レルンダローと考えたら、登り始めの標高が低いので高度差が大きいんですね。Web で検索すると、高度差が 900m 近く
あることになります。石鎚山の場合、標高こそ 1982m と権現山よりも高いものの、登り始めの土小屋自体が既に 1492m ありますので
高度差は 500m です。権現山で疲れた原因は高度差にありました。

権現山の隣の鬼が城山もいずれ登ろうと考えています。今回通ったアザミ峠からも行くことができます。でも、アザミ峠までの道はあまり通り
たくないので、鬼が城山に登る際は、別のルートを探さなければなりません。


5 月 7 日 目に見えない教育
3 月といえば、学生なら卒業、社会人なら転勤です。子供のクラブの顧問の先生も 3 月末に異動になりました。

この先生、クラブ活動に熱心な方でした。自分の幅広い人脈を使って、県内の各地の中学と練習試合を設定しては毎週のように遠征して
いました。都市部とは異なり、電車やバスで子供が移動できるわけではないので、移動には親が車を出します。

おかげで、ウチも宇和島、鬼北、三瓶、大洲、松山、今治と様々な場所に送迎し、必然的にクラブの練習や試合風景を見る機会がありました。

先生、熱心なのはいいのですけど、結構、厳しく指導します。スタンドから見ていると言っている内容は聞こえません。でも、言ってる顔つきや、
言われている子供の顔を見ていると、相当厳しい内容であることは想像できます。

見ているこちらが心配になるほど、何度も指導されている子がいました。あんなに言われたら、学校に行くの嫌になっちゃうんじゃないかとか、
トラウマにならなきゃいいなあなんて思ってました。

でも、言われていた子供のうけとり方は違ってたんですね。離任するにあたり、厳しく言われていた子ほど、先生が異動することを惜しんで
いたことがわかりました。

先生は叱るだけでなく、後から技術的なアドバイスを具体的に与え、精神的なフォローもしていたのでした。したがって、子供たちには、先生が
感情に任せて怒っているわけではなく、自分のために怒っていることがきちんと伝わっているのでした。

こういうのを教育っていうんでしょうね。

先生は同じブロックにある他校で卓球部の顧問をすることになりました。今度は対戦相手です。5 月の大会で先生のチームと対戦したら、
勝つことで成長を示せと子供には檄をとばしています。


はたして、勝てるのでしょうか。


4 月 1 日 バイク考(その2)
確かにバイクの調子はいいです。 だが、しかーし、今ひとつ楽しくないんですよね。ナンデかというと、エンジンを回さないといけないから。

CBX のエンジンは最高出力 30PS/9,500rpm でトルクが 2.4kg/8,000 rpm です。見て分かるとおり高回転型です。私の乗り方ですと、普段は
回しても 6000 回転で、山道でとばすときも 7000 回転くらいです。CBX は低速と高速用にキャブが分かれているデュアル・キャブになっており、
たまに高回転で回さないと高速用のキャブに古いガソリンがたまっちゃうんですね。以前、キヤを落とした直後のエンジンのつきが悪いことがあって、
バイク屋さんに診てもらったところ、先の原因が分かった次第。そのとき、言われたのが、「たまにはエンジン回してくださいね」というもの。ギャフン。

本人は 6000 〜 7000 回転でも十分回しているつもりなんです。でも、CBX は 8000 回転以上が本領を発揮するようなので、回し足りないのでした。
たまに、三瓶の方の峠道までいって、回すものの、さすがに 10000 回転近くまで回すと凄い音がするのであまり楽しくありません。

峠を走るにしても、6000 回転以下で走りたいなあなんて思うようになったわけです。そうはいいながらも、乗り換えるんだったら何かなあなんて
夢想したりすると、JADE 250 はどうかななんて考えていたので矛盾してます。250CC の並列 4 気筒で 14000 も回るエンジンです。

そこから、W650、XLH883 へと妄想は転じ、今では SR400 で落ち着いています。水平対向の BMW にも未練がありますけど、XLH883 同様、
高額な購入費用と維持費がかかりますから、一回当たりのコスト・パフォーマンスを考えると手がでません。

SR ですよ、SR。

あんな遅くて震動だらけのバイクになんで乗るんだろうと、見向きもしなかった SR が俄然輝いて見えるのです(SR のオーナーさんごめんなさい)。
ああ、歳とったなあとつくづく思います。どうなんでしょう、SR。

ネットで検索したところ、松山に中古の SR があったので見に行ってきましたよ。こんな風に盛り上がってバイクや車を見に行くのは久しぶりです。
程度のよいのがあったら買っちゃうかも。

幸か不幸か、すぐに飛びつくような SR はありませんでした。少しくたびれていたものや、改造したものだったためです。そうでしたそうでした。
SR はノーマルで乗っている人が少ないんです。

そんなわけで、よい SR が見つかるのか、熱が冷めるのか、どちらが先かという状況です。


4 月 1 日 バイク考(その1)

CBX250RS に乗り換えて、はや 5 年になろうとしています。最近になってようやく、このバイクのエンジン始動のコツをつかみました。
チョークを 1 段引いてセルを回すということです。それまでは 2 段ひいていました。後から考えると、2 段だとガスが濃くなってしまい、
それでプラグをかぶらせていたようです。もしやと思い、1 段に変えてからは、セルを回せばすぐにかかるようになりました。



たったこれだけのことが分かるのに何年もかかるんですからねー。車にしろ、バイクにしろ自分のものにするまでに何年もかかるという持論を
あらためて実感しました(理解に時間がかかりすぎ?)。

そんなわけで CBX のクセもほぼ把握でき、調子もよいです。

4 月 1 日 この世界の片隅に(その 3)
この映画を作った片淵須直監督は、かつてジブリで働いていました。今回の映画には原作があるので、画風はジブリと異なります。それでも、
絵の自然さはただものではないと感じていたので、帰って経歴を調べて納得しました。「シン・ゴジラ」を監督した庵野秀明監督とは同じ時期に
ジブリにいたようです。

庵野監督は宮崎駿と決別したものの、「風立ちぬ」では声優を務めたことから分かるように、お互いを認め合っているように見えます。

かたや、片淵監督の名前が「この世界の」にいたるまではジブリの文脈で出現したことはありません。ジブリの後継者として名前が挙がったことも
聞いていませんので、ジブリの主流ではなかったと思われます。

片淵監督がかつてジブリに関わっていたこと、戦争に関連した映画を作ったということでは、どうしても宮崎駿監督の「風立ちぬ」と比較しないわけには
いきません。

「風立ちぬ」はオリジナル、「世界の片隅に」は原作の映画化なので、そもそも比較すべきではないのかもしれません。「風立ちぬ」は宮崎監督の
引退作ということもあり、NHK がスペシャル番組を組んで放送していました。関東大震災のカットを描くのに膨大な時間をかけたとか、色々な
周辺情報があるにしろ、映画として見た場合、「この世界の片隅に」の方が「風立ちぬ」よりも優れています。

そりゃ、宮崎監督の引退作品という文脈で「風立ちぬ」が語りつがれることはあるでしょうけれど、映画として傑作かと言われたら違います。
それに対し、「この世界の片隅に」は日本映画の傑作として今後語り継がれるでしょう。

宮崎監督が博識を誇る兵器の描き方についても、「この世界の」では軍事マニアの方が驚くような情報が画面に反映されています。

ネットで探しても、宮崎駿が「この世界の」について述べたコメントがヒットしないため、どのように思っているか分かりません。でも、戦争を
扱っていながら戦争映画となっていないことや、戦争映画以上に反戦メッセージが感じられること、悲観的なストーリーなのに楽観を感じさせること、
詳細を調べぬいて画面に反映する手法といい、「この世界の」を見て「こん畜生」と思ったのは、誰よりも宮崎駿ではなかったかと想像しています。

宮崎駿については渋谷陽一が定期的にインタビューして本にまとめています。なので、次回のインタビュー作でこの点に関するコメントが
読めるのではないかと密かに期待しています。

4 月 1 日 この世界の片隅に(その 2)
この映画は製作する際にクラウド・ファンディングを利用しています。厳密にいうと、製作資金ではなく、海外に売り込みに行くための資金が
不足したので、それを調達するためにクラウド・ファンディングを利用したそうです。

映画の終り、エンド・ロールが流れる際、資金提供した方の名前が画面に延々と映されます。通常、エンド・ロールになると席を立ってしまう人が
少なからずいるでしょう。でも、このときは誰一人席を立ちませんでした。

私も座って、じっと名前を見ていました。その間、「この人たちのおかげでこの映画を見ることができた」、「出資したこの人達は先見の明がある」、
「自分も出資したかった」など、様々なことを思っていました。

この映画、友人の勧めがあって見に行ったと書きました。そうなんです、この映画、資金が少ないことと、のんさんが事務所とのトラブルに
巻き込まれたせいか、事前にメディアにはほとんど取り上げられませんでした。派手なコマーシャルなんて見たことないでしょ。ところが、
口コミで上映館が広がるにつれ、無視できなくなったのか、ようやくメディアでも取り上げられるようになりました。

映画のできの素晴らしさに対し、メディアの評価が低すぎるように感じられます。自分にできることは何かと考え、私も会う人ごとにこの映画を
勧めています。

4 月 1 日時点、愛媛では大洲市での上映は終わってしまいましたが、松山市では未だ上映しています。きっと、あなたのお住まいの近くでも
まだ上映していることでしょう。

まだご覧になっていない方は是非、ご覧になってください。

4 月 1 日 この世界の片隅に(その1)
映画「この世界の片隅に」を見てきました。広島県呉市を舞台に昭和 10 年から 20 年を描いた漫画の映画版です。気になっていたところに、
映画好きの友人から勧められたため見てきました。大洲で見られるということもありましたしね。

結論からいうと、今まで見たアニメ映画の中でベストです。日本映画として見た場合でも極めてデキがよく、後世に語り継がれること
間違いなしの傑作です。

舞台となった広島という場所と、昭和 20 年という設定から分かるとおり、原爆は避けられません。戦争と原爆が関連する漫画というと、
私の年代では「ハダシのゲン」がまっさきに浮かびます。でも、この映画はそんな先入観を覆してくれます。

戦争映画として見ることもできますし、古きよき昭和の生活史として見ることも、ある家族の変遷として見ることも、また軍事マニアなら、
実際の高射砲音を使った迎撃シーンを見ることもできます。とにかく、切り口が多いので人によって、異なる見方ができるのです。
人によって異なる見方ができるというのは、よい映画の必須条件です。

この映画で驚かされるのは、そののんびりとした空気感です。戦争映画というと、灯火管制であったり、配給制であったり、隣組による
相互監視であったり、今までのドラマの中で散々見てきました。そういうシーンもあるものの、裁縫や料理など、日常の生活が淡々と描かれて
いることです。決して、ある日突然に戦争になるわけではなく、徐々に気がつかないうちに戦争モードになっていくことが描かれています。

私の好きな映画に「ガープの世界」があります。ジョン・アービングの原作を映画化したこの作品、ストーリーを言葉で説明していくと、
悲劇にしかなりません。でも、実際、映画を見終わるとほのぼのしみじみした気分になります。「この世界」も、「ガープ」とは別種類の
映画ですけれども、悲惨なはずの話なのに、見終わった後に希望が持てるという点で似ています。

私はラスト間際の 1 カットを見たとたん、涙腺が崩壊しました。たった 1 カットなのですが、その中に様々な希望が詰まっているのです。
人の想像力を瞬時に刺激するこのカットを考えた人はなんて人だろうと思いました。ひょっとすると、原作にはこのカットが存在するのかも
しれません。

この映画のもう一つの見どころ(聞きどころ)は、主人公の声をのん(能年玲奈)が演じていることです。この人、はまり役で、この人以外で
このアニメは成立しないだろうと思えるほどです。この方、「あまちゃん」でブレークして以降、所属事務所とトラブルがあったとかなかったとかで
出演作に恵まれていません。それでも、印象度という点において、「あまちゃん」と「この世界の片隅に」の 2 本だけで、凡百の女優が
一生かかっても残せない印象度を残したといっても過言ではありません。

まあ、この見方について、「おやじ達はのんちゃんに弱い」とカミさんは切り捨てていますけど。

とにかく、思いだすだけで色々語りたくなる素晴らしい映画です。

4 月 1 日 節分
朝、散歩をしていたら、路上のゴミがやけに目につきます。やたらとティッシュが捨ててあるじゃないですか。



嫌だなあと思いながらよく見てみると、豆が包んでありました。



カミさんに聞いたところ、節分の豆を紙にくるんで四つ角に置き、振り返らずに戻るのがこちらの風習だそうです。振り返らずに戻るって
いうのがミソですね。色んな風習があるものです。

4 月 1 日 義父、亡くなる
母が亡くなる直前の 12 月 8 日、義父が入院しました。その後、退院することなく、1 月末に亡くなりました。私の両親のお世話のめどが
たったので、今度はカミさんのご両親のお世話をするのに備えて愛媛に引越してきたのに、引越してからわずか 1 年半後に亡くなりました。

もっとお話しを聞いておきたかったとか、孫の成長を見て欲しかったとか、様々な思いはあるものの、入院中のお世話ができたことや最期を
みとれたことで、少しはお役にたてたのではないかと思っています。

4 月 1 日 母、亡くなる
12 月 10 日、母が 89 歳で亡くなりました。死因は老衰でした。寝ている最中に亡くなったそうです。母らしく、最後まで人に迷惑をかけずに
逝ってしまいました。ここ 2、3 年、このまま調子を崩してしまうかもしれないという時が何度かありました。その都度、復活して、私達を
驚かせてきました。今回は特に調子が悪いという連絡も老人ホームから受けていなかったため、突然のことでした。

愛媛に引越した時から、いずれこの日がくることは覚悟していました。それでも、いざそうなってみると寂しいことにかわりありません。

4 月 1 日 登山靴のソール貼り替え
先輩と石鎚山を登った後、家で靴を掃除していたら、ソールがグラグラすることに気づきました。靴の底とソールをつけている接着剤が
弱っているようです。



この靴、20 年以上はいています。10 年以上前にこの靴をはいて盛岡まで行ったところ、駅の階段でソールがはがれたことがあります。
時間が経過しているので、また接着力が弱くなっているのでしょう。今回、放っておくと山ではがれることになりかねません。
そんなことになったら危ないので、ソールを貼り替えることにしました。

当然、買い替えも考えました。でも、革製の靴が好きであることと、この靴に愛着があることから貼り替えを選択しました。幸い、ビブラム社の
ソールは貼り替えることができます。さすがに愛媛では、前回のように購入した店に持っていくわけにはいかないので、ネットで修理店を
見つけました。

貼り替えがきくとはいえ、まったく同じソールに張り替えるわけではありません。ソールの型番とともにデザインも変化しているようです。
ソールが変わったことにより、靴のイメージが少し変わりました。少し残念ですが、安全にはかえられません。

これで、あと 10 年は登山靴に困らないでしょう。

4 月 1 日 一括更新
2017 年もはや 4 月 1 日。昨年暮れから身内の不幸が続いたため、更新できませんでした。Brexit からトランプ大統領誕生までを年末に
振り返ろうと思っていたのにね。遅ればせながら更新していきます。