ナターシャセブンとは


ナターシャセブンとは
ナターシャセブンとは、高石ともやをリーダーとするフォーク・バンドです。メンバーは変遷があり、高石ともや、城田じゅんじ、坂庭省悟、
木田高介のメンバー編成がベストというのがファンの間で定説です。私もそう思います。
    
高石ともやが住んでいた福井県名田庄村や京都を拠点に活動していました。ナターシャセブンの由来は名田庄からきています。
バンド名の表記には「ザ・ナターシャー・セブン」、「ザ・ナターシャセブン」とあり、さらに「高石ともやと」が付く場合と付かない場合があります。
レコードやチラシを調べてみると、統一されていないため、この場では便宜上「ナターシャセブン」としています。

京都の宵々山コンサートに出演したり、京阪神のラジオに出演していたため、関西ではそこそこ知名度があったようですが、東京では
無名でした。私が知ったのは 16 歳の時、NHK のテレビファソラシドというバラエティー番組が最初です。司会が永六輔と
頼近アナウンサーで、たまにナターシャセブンが登場していました。

偶然、おさななじみの小林君もナターシャセブンが好きで、一緒に浅草公会堂にコンサートを聞きに行ったり、レコードの貸し借りをしたことが
更に熱中度合いを高めました。後から振り返ると、ファン以外の人でナターシャセブンを好きという人には小林君以外に、お目にかかったことが
ありません。その理由はファン層が私の世代より高いことにあるようです。16 歳でナターシャセブンを知り、近所に同好の士がいたことは
私にとってラッキーでした。

グループの特徴
グループの特徴はいくつかあります。1 つ目は、日本のフォーク、民謡だけでなくアメリカのフォーク、世界の民謡などを広く紹介したことです。

代表作の 107 ソング・ブックシリーズは、11 枚の LP で構成されており、各 LP ごとにアメリカの古い歌編、オールドタイミー & ブルーグラス編、
「フォギー・マウンテン・ブレークダウン」5 弦バンジョー・ワークショップ編などとテーマを決めて曲を紹介していました。

各 LP にはオリジナルの歌手名や、録音時の楽器構成など、情報量満載のブックレットがついていました。このため、興味を持った曲は、
この情報を頼りにオリジナルの歌手によるLP を探して聞き漁りました。それまでフォークと言えば、ジョーン・バエズ、サイモン & ガーファンクル、
ボブ・ディラン、ピーター、ポール & マリーくらいしか知らなかったのが、エリック・アンダーソン、ジェームズ・テイラー、ピート・シーガー、
ウィーバーズ、ノーマン・ブレーク、ドク・ワトソンなどを知りました。

2 つ目は日本の素晴らしいフォーク・ソングを紹介したことです。我夢土下座 (かむとげざ)という岐阜県中津川にある土着バンドには、
「山と川」、「めぐりあい」、「私の子供達へ」、「川のほとり」など、有名ではありませんが素晴らしい歌がたくさんあります。
ナターシャセブンのオリジナルではありませんが、これを紹介した功績は大きいと思います。

3 つ目はアコースティック・ギター、バンジョー、フラット・マンドリンを広めたことです。これほどアコースティック・ギターを格好よく弾く人は
見たことがありませんでした。何せ、日本のフォークではコードをかき鳴らすか、スリー・フィンガー・ピッキングしか見なかったからです。
それに比べ、坂庭省悟のフラット・ピッキングにはしびれましたね。
自分でもギターを買って、「フレイト・トレイン」や「ブラック・マウンテン・ラグ」とかを練習したものです(その後挫折)。

ギター以外にも、ナターシャセブンの華やかなフォギー・マウンテン・ブレークダウンにやられてバンジョーやフラット・マンドリンを買って
しまった人は大勢いると思います。買えませんでしたが、私もブルーベルのカタログを飽くことなく眺めていました。日本の
ブルー・グラス・バンドのプレーヤーでナターシャセブンの影響を受けていない人はほとんどいないと言っても過言ではないでしょう。

ブルー・グラスの CD を出している浪曲師の国本武春さんもその一人に違いないと勝手に想像していたところ、最後の宵々山コンサートに
出演していたので、間違いないようです

4 つ目はハーモニーの素晴らしさです。楽器のうまさにだまされそうですが、ナターシャセブンは実はハーモニーのバンドです。
これに気づいたのは、再結成した時です。解散して、メンバー各自のソロコンサートを聞くと何か物足りない気がしました。再結成して
3 人でマイクを囲んで歌うのを聞いて、ナターシャセブンの魅力は高石ともや、坂庭省悟、城田じゅんじが揃った時のハーモニーの
素晴らしさにあることに気づかされました。

グループの解散
私が高校生の頃と言うと、1977 年から 1981 年です。ナターシャセブンについて書かれた Wikipedia を見ると、既に絶頂期を越えて
坂を転げ落ちていく頃です。無論、当時はそんなことを知る由もありません。
今でこそ、インターネットがあります。しかし当時、関東でナターシャセブンの情報を入手するのは至難の業でした。毎月、「ぴあ」の
コンサート欄を見ても関東に来ることはほとんどなく、ましてや東京でコンサートを行うことは稀でした。
7 月に京都に行けば宵々山コンサートがあることは知っていたものの、高校生が学校を休んで行けるはずもなく、大学生の時は
前期試験直前だったため行くことはできませんでした。

ベース、編曲を担当していた木田高介が交通事故で亡くなったのは 1980 年とあります。こうやって振り返ってみると、全盛期の
ナターシャセブンを生で聞いたのは、高校生の時に聞いた浅草公会堂のみになります。大学生の時に立教大学の
クリスマス・コンサートや西武系のイベントでナターシャセブンを見た記憶がありますが、あの時期、グループは
崩壊寸前だったのでしょう。
 
82 年に発表されたナターシャセブン最後の LP 「ヒット・エンド・ラン」は、107 ソング・ブックとは異なったポップス調になっており、
嫌な予感がしたものです。正式な解散発表があったのかどうか分かりません。でも、坂庭省悟と城田じゅんじが抜けたらしいことは
明らかで、ファンが知っているナターシャセブンはなくなってしまったようでした。

解散後の混沌から再結成まで
ナターシャセブン崩壊後も高石ともやは年末に東京有楽町の読売ホールで年忘れコンサートを行っており、このコンサートには
数年間通いました。しかし、ナターシャセブンの好きな部分は高石ともやよりも、坂庭省悟、城田じゅんじの楽器演奏のうまさや
楽しい漫談 (?) にあることに気づいたため、高石ともやの単独コンサートからは自然と足が離れ、坂庭省悟と城田じゅんじの
情報を探しました。

残念ながら、坂庭省悟と城田じゅんじの情報はどうやっても入手できず、二人の消息を確認したのは 90 年代に入ってからです。
記憶では 90 年代の前半に 1 人で新宿ビプランシアターに城田じゅんじのコンサートに行って感激した記憶があります。
確かアルバム「Waterside」を作成したメンバーと一緒のコンサートでした。

1995 年になると坂庭省悟と城田じゅんじの黄金の組み合わせによるコンサートが復活し、さらに 2001 年にはナターシャセブン
再結成と夢のような時間がやってきました。この頃には阿佐ヶ谷にあるバルトも知ることができました。ここでようやく
ナターシャセブンのファンと巡りあうことができ、楽しさが広がりました。何といっても、誰かが歌いだすと、皆一緒に歌えるのですから、
こんな場は初めてでした。
    
私は 1995 年に結婚しました。関西の学校を卒業したカミさんが学生時代にナターシャセブンの曲を聞いたことがあったのが幸いして、
巻き込んでコンサートに行くようになりました。1995 年から2002 年頃、ちょうど私達は 30 代で子供がいなかったこともあり、
遠方をものともせずコンサートに行ってました。

再びの離散
しかし、夢のような時間は長く続きませんでした。ナターシャセブンは予定どおり短期間の再結成を終了します。その後、2003 年 6 月の
吉祥寺「のろ」での 2 人のライブでは坂庭省悟さんが病欠し、同じ年の 12 月に亡くなります。さらに、翌 2004 年にはソロライブを聞きに
行こうと思っていた矢先、城田じゅんじが刑事事件をおこしてしまい、夢は終わりました。

不幸なバンド?
ファンからの視点でズラズラ書きました。リーダーの高石ともやからはどのように見えたのでしょうか。リーダーからすると不幸なバンド
だったのかもしれません。1980 年に木田高介がなくなり、1982 年には所属事務所の社長である榊原詩朗がホテル・ニュー・ジャパンの
火災で亡くなります。その後、バンドは解散状態にあるも、契約上はナターシャセブンのバンド名を維持してコンサート行わざるを得ず、
苦労したようです。

バンドを再結成しますが、2003 年に再解散。2003 年に元メンバーの坂庭省悟が亡くなり、その半年後には元メンバーの城田じゅんじが
刑事事件を起こしてしまいます。2011 年の最後の宵々山コンサートに高石ともやがゲストとして城田じゅんじを呼んだと複数の
ホームページで見ました。
ナターシャセブン自体はフォークのバンドでしたが、残された高石ともや、城田じゅんじのこれまでを見るとブルースを
地でいっているように感じます。

かけがえのないグループ
そのような暗い一面はありますが、私にとってはかけがえのないグループであり、受けた影響ははかりしれません。私だけではなく、
カミさんもほとんどのコンサート、ライブには一緒に行ってます。また、ウチの子はお腹の中にいる時からナターシャセブンを聞かされて
いるため、良くも悪くも K 島家にはなじみが深いグループです。

(2013 年 2 月 3 日)