6 月 7 日 EV乗ってみた
仙台に行った際、レンタカーを使う機会がありました。今まで乗ってなかった EV を試してみようということで借りたのが
ニッサン E-Note。E-Note、ちまたじゃハイブリッドと呼ばれていますけど、私に言わせれば EV ですね。
だって、クルマを動かすための動力はすべてモーターだから。プリウスのようなクルマは動力がエンジンとモーターの
両方を使っているからハイブリッドと呼ばれるのは分かります。でも、E-Note はモーターでしか動かないからです。
積んでいるエンジンはあくまでも発電用。
乗った印象は、良くできているというもの。最近よくあるアイドリング・ストップのついたエンジン車よりも、はるかに
自然な感じがします。
驚いたのはアクセルから足を離すとすぐにブレーキがかかることと、強力な加速。
アクセルから足を離すとすぐに減速します。なので、街中を運転する際はアクセルのオン・オフだけで運転できちゃい
ます。ブレーキを踏むのは停止する直前くらい。山の中のワインディングや長い下りでも同様です。下りでアクセルを
オフにしたら車速の制御はブレーキのみで行うのかなと思っていたら大間違い。ワンペダルでいけちゃうのでした。
ブレーキ・パッド減らないんじゃないの?
次は、低速からアクセルを思いっきり踏んでみたら恐ろしいほどの加速。自分じゃとても買えなかったベンツや BMW の
スポーツカーなみの加速が、コンパクト・クラスの大衆車で味わえるんですから驚きます。
そりゃ、とばしたくなるはずだよ。
ちなみに、以前から一般道ではやたらにとばしたり、あおり気味のプリウスやアクアに出くわすことがありました。
モーターのせいで加速力がついているからじゃないかなと想像してましたけど、思ったとおりでした。でも、E-Note に
あおられた記憶はないんだよなあ。
燃費(電費?)はというと、仙台〜天童市の往復 157km で消費したガソリンはわずか 5.4リットル。1 リットルで 29km
走った計算です。ウチの 250cc のバイクと変わらないじゃない。
技術の進歩を実感しました。
6 月 7 日 天童
用事があって仙台に行くことがあったので、ちょっと足を延ばして山形県天童市の温泉まで行ってきました。最初は
岩手県の温泉を検討していたんですけどね。花巻の大沢温泉とか。
天童に何しに?と思うでしょう。天童は将棋で有名なのです。
ウチのかみさん、数年前から将棋の藤井壮太さんのファンになり、将棋にはまっています。どれくらいはまっているか
というと、藤井さんの対局は毎回オンラインで観戦、上京した際は、千駄ヶ谷の将棋会館を見に行ったほど。
そんなわけで私が忖度して行き先に天童を選んだわけです。天童は将棋の駒づくりや、人間将棋で有名な町。
駅前には将棋資料館もあります。
まずは将棋資料館(館内は部分的に撮影可)。
次は憧れの舞鶴山。毎年、春に人間将棋が行われる場所です。かつて、藤井壮太さんも訪れたことがあるそう。
私の印象に一番残ったのは、雪をいただく月山ですね。晩春の東北はこうでなくっちゃ。
6 月 7 日 Windows11
ようやく Windows10 から Windows11 に更新しました。2008 年にフリーランスとして家で仕事をするようになって以来、
仕事用PC の Windows を更新するのは 3 回目です。Windows XP → Windows 7 → Windows 10 → Windows 11 と
いった具合。
Windows が古くなってくると、起動が遅くなったり、ハングしたりと不都合が多くなるため、最新化によって改善される
メリットはあります。しかし、それ以上にデメリットの方が多いかも。PC 自体の入れ替えのみならず、PC の
インターフェース変更に伴い、変換ケーブルが必要になったり、場合によってはディスプレイなどの周辺機器の
買い替えも必要になったりします。また、ソフトウェアについては Windows の変更に合わせて買い替えを強要する
ものもあり、こちらも購入が必要です。さらに、データの移行も必要。
機器もソフトウェアも最新化し、データの移行が終わってもまだ安心はできません。操作性の変更などの落とし穴が
待っているからです。実際、このホームページを更新するソフトウェアもバージョン・アップしたところ、サイトにうまく
アップロードできなくなってしまい、結局、以前の Windows10 からアップロードする始末。
このように、バージョンアップや操作性の変更に伴う不都合には、設定を変更したり、自分専用のツールを修正したり
して逐一対応するほかはありません。それでも解決しないことがあります。Windows10 ではメール着信時に着信音を
鳴らしていたのに、Windows11 では、いくら設定しても着信音が鳴らないのが一例です。
結局のところ、自分の都合ではなくてマイクロソフトの都合によりお金と手間をかけて最新化させられ、挙句のはてに
不都合も受け入れなければならないというのがモヤモヤする理由でしょう。
何とかならんかなあ。
6 月 7 日 真紅(まっか)なポルシェ
真紅のポルシェと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「緑の中を走りぬけてく真紅(まっか)なポルシェ」でしょう
(昭和世代限定?)。
でもね、緑の中を走るならこっちのポルシェの方がお似合いかも。
こちら、1960 年代のポルシェ・トラクター。ポルシェは、かつて、トラクターを作っていたことがあります。
その始めはナチス。ナチスがフェルディナント・ポルシェに命じてフォルクスワーゲンを設計させたのは有名な話。
同様にフォルクストラクターの開発もポルシェに命じていたというわけ。結局、両方とも戦時中には間に合わず、
製品化されたのは戦後のこと。
こちらのトラクター、愛媛県西予市の、とある倉庫の中で拝見しました。愛媛発祥の農機メーカーである井関農機は
1963 年〜 1966 年までポルシェと代理店契約をしており、その間に輸入・販売した1台と思われます。
ちなみにこのポルシェ、貴重な産業遺産であることは疑いがありません。けれども、クラシック・ポルシェのように
資産価値が高いかというと微妙なところ。アメリカの高名なオークションに古いポルシェ・トラクターが出品されて
いたものの、最低落札価格に及ばず、落札されなかったからです。
土地が希少な都会と違い、田舎にはこうした産業遺産が倉庫にそのまま残されていることが少なくありません。
人知れず眠っているものがどこか他にもあるんだろうなあ。
5 月 2 日 朋有り遠方より来る
東京に住んでいる高校時代の友人、なぜかご両親の出身地である広島県呉市に家を買ったといいます。以前から仕事でも
広島にはよく来ていたのに、さらに来る頻度があがった模様。じゃあ、会いましょうということで松山まで来てもらうことに
なりました。
松山観光港で 10:10 に待ち合わせ。スーパージェットで来訪です。
振り返ってみると、私が愛媛に引越した 2015 年にも遊びにきてくれました。それ以降、東京では会っていなかったので
10 年ぶりということになります。でも、メールや Facebook ではちょくちょくやりとりがあるので、そんなに会っていない
という感じはありません。会えばすぐに、毎日会っていた高校生の頃に戻ります。
性格も興味の対象も全く異なるので、なぜ友人になったのか未だに分かりません。あともう一人仲のよいのがいて、
こちらはさらに強烈な個性の持ち主。この人が友人でいてくれるのも謎です。友人と思っているのはこっちだけで、
あっちは思ってないかも?
今回は三津浜を散歩することにしました。その前に伊予鉄に乗って「梅津寺」駅に寄り道します。「梅津寺」駅、
「東京ラブストーリー」のロケ地として一部では有名。行ってみたいというので寄ることに。そういやあ、むかーし、
この人に頼まれてボートハウスのトレーナーを買いに行列に並んだことがありましたっけ。ミーハーさはあいかわらず。
その後は、渡し船に乗って三津浜に渡ります。この渡し舟、市道の一部のため市が運営しているもの。対岸に舟が
いるときは呼び出しボタンを押すとやってきてくれるというノンビリ加減がたまりません。しかも無料。近年、この手の
渡船は廃止が続いており、尾道の渡し船も 3 航路のうち 1 航路が今年の 3 月で運航を中止しました。こちらは
続いてくれるといいなあ。
この道が三津浜のメーンルート。道路沿いに面白げな飲食店や、普通の商店街にはないような店が出店していて、
密かに観光地化しています。
こちらはレコード屋さん。なぜ三津浜に?
隠れ家風の家具屋さん。
三津浜といえば三津浜焼きが有名。広島から来た人に広島風お好み焼きを食べさせるのもどうかと思ったけど、
食べることに。だって本人が食べたいって言うんだもの。
友人によると、そばが入っているのは広島と同じ。広島ではそばに味をつけないで混ぜるのに対し、ここでは焼きそばを
作ってから混ぜている点が違うとのこと。口に入ったら同じなので、ボンヤリしている私は気がつきません。
自身の健康、両親のこと、仕事のことなど、話はつきません。町を散歩しながら散々話した挙句、まるで明日も会うかの
ように「じゃあ」と言って友人は呉に帰っていきました。
4 月 25 日 タケノコ・バスター
今年は 3 月末に急に気温が下がったせいでタケノコも遅れていました。でも、4 月も中旬になると、例年どおりボコボコ
出ています。早速、タケノコ・バスター出動です。1m 切りという切り方をすると根までやっつけることができるというので、
試したこともありました。でも、同じ場所で同じような本数のタケノコが出てきているということは効果がない証拠。
今年は何も考えず切るようにしました。
何メートルか伸びてから切ると、倒れるときに自分自身に当たって危ないことがあったため、今年は小さいうちに切って
ます。また、食用に持って帰るものも、山の上の方でとっちゃうと持って下りるのが大変なので、下の方でとるように
しています。
今年は、イタドリを採って帰ったところ、義母、カミさんから好評でした。上の緑色のがイタドリです。
いい気になって 2 回目も採ったところ、太めのものは筋ばっており食べれたものじゃありません。どうやら、旬の期間が
短く、少しでも遅いと食べられないようです。
いやあ、山菜は難しい。
4 月 25 日 息子の帰省しない春休み
息子は 3 月まで卒論に追われ、提出してすぐに友だちと旅行に行ってしまいました。その後も卒業式やらなにやらで
忙しいらしく、帰省しませんでした。大学入学以来、春、夏、冬と休みのたびに帰省していたので、息子の帰省しない
春休みは初めてです。こうやって徐々に子離れをしていくんでしょうね。
もっとも、こちらもコロナでバタバタしていたので、帰って来なくて正解かも。
ちなみに、大学は 4 年で卒業したものの、スライド式に大学院に進学しちゃったので、学生生活はもう 2 年続きます。
ということは、仕送りもあと 2 年ってこと!?
4 月 25 日 コロナその後
熱は 5 日で下がったものの、その後1週間はセキが続き、完治を実感したのは 3 月上旬のこと。だがしかーし、今度は
カミさんが実家でコロナをもらってしまったのでした。幸い、カミさんも高齢の義母も大したことはなかったのですが、
カミさんのかわりに私が食事・洗濯をすることになり、おまけに 3 月は仕事が繁忙期でもあるので、それなりに
大変でした。そんなわけで、K島家は 2 月中旬から 2 ヵ月近く、コロナで停滞してました。
コロナ中は停滞したものの、良いこともありました。それは寝る前にラジオを聞くようになったこと。
コロナで子ども部屋に隔離されている間、夕飯を食べるとすることがなくなってしまい退屈に。そんなとき気づいたのです。
スマホでラジオが聞けるじゃない。
もともと、住んでいるところは山のふもとにあるため難視聴地域です。ポータブル・ラジオですと AM がいくつか入る
ものの FM はほぼ入りません。なので、1 台のステレオは手間暇かけてテレビ用のアンテナ端子につないで電波を
拾っています。そんなことからポータブル・ラジオを寝床で聞くことは諦めていました。
スマホで NHK の「らじるらじる」を聞いたところ、勉強系、音楽系、お笑い系と多彩な番組が揃っています。特に
音楽系ではピーター・バラカンが DJ をしている洋楽番組、大友良英が DJ をしているジャズ番組が自分好みで
あることが分かりました。そういやあ、以前、先輩が勧めてくださっていたなあ。
それ以外にもお笑い系には芸人や落語家の番組もあり、1 週間飽きずに聞くことができます。おまけに聞いている
うちに眠くなるので寝つきがよくなったかも。
2 月 25 日 今さら
楽しかった土日はあっという間に過ぎ去り、月曜からまた仕事です。火曜の昼に無事、納品を終えた後から、悪寒が
するようになりました。気のせいか体の節々も痛いような。
念のため熱を測ると 37.8度。体温低めな方なので、滅多に見ない数値です。何かよからぬことが起きているのは
間違いありません。フトンをひいて安静にします。
単なるカゼか、コロナかインフルエンザか切り分けしないといけないので、かかり付けの病院に相談したところ、コロナの
場合、発熱後 12 時間を経過しないと偽陰性が出る可能性があるため、来るなら明日にして欲しいとの回答。なるほど。
夜には 38.7 度まであがり、眠れませんでした。
翌日、病院に行って検査したところ、あっけなく「コロナ」の診断。「特効薬はないので、後は鎮痛・解熱剤を飲んで治るのを
待つしかありません」とも。特効薬がないのは知っていたつもりでしたけど、世界的流行から 5 年もたつのに、いまだに
治療に使える薬がないというのは、少し驚きました。アビガンとか騒いでいたけど、一体、どうなっちゃんだろう。
高松じゃマスクをしていたつもりでしたが、気のゆるみがあったかも。混んだうどん屋、電車、コンサートホールなど、
コロナをもらったのがどこか見当もつきません。
発熱あり、鼻水はでるものの、幸い、喉の痛みもそれほどでなく、味覚異常もありません。これを書いている、今日は
発症から 7 日目。ようやく平熱に戻りました。
高松の楽しかった思い出が、なんだか発熱のせいでかすんでしまったように感じています。トホホ。
2 月 25 日 高松(その他)
今回、車で行くか、電車で行くか迷いました。
車で行けば自由度は増しますけど、一人で 180km を運転するのは疲れます。180km というと、東京に住んでいた頃の
感覚ですと、中央道の諏訪南ICまで行ける距離。昔は、一人で運転して日帰りでスキーに行ってた距離です。それが、
今じゃ片道でも不安を覚えるようになりました。歳とったなあ。
折角、コンサートを聞きに行くのに、頭痛なんかしたら本末転倒なので大人しく電車で行くことに。8:12 八幡浜発の
特急宇和海から、9:15 松山発の特急石鎚に乗り換えて高松に向かいます。ちなみに汽車で松山に行くのは1年ぶり。
普段はクルマでの移動ばかりです。
普段、目にしない車窓の景色を楽しみます。井関トラクターの工場(松山)や、Solato の工場(北条)、大王製紙の
工場(四国中央)など。海が見える区間は思ったよりも短く、松山〜今治くらい。
11:54 に高松に到着。4時間弱かかりました。お昼なので、駅近くの讃岐うどん屋「めりけんや」に向かいます。行列が
できてましたけど、回転が早いのであまり待たずに入れます。
かけうどん、かきあげ、イナリ寿司、計¥430。やっす。いまどき、愛媛の丸亀製麺でしたら¥500 は軽く超えて
しまいます。しかも、うまい。口にツルツルツルって入っていくときの感覚は久しぶりです。やっぱり本場の
讃岐うどんは違う。早くて安くておいしくて大満足。
ちなみに K 島、このホームページに「讃岐うどんについて」なんてページを設けるくらい讃岐うどんにはまっていた
時期がありました。今から 20 年以上前のことです。内容が薄く感じたので、目次から削除してしまいましたが、
ページ自体はまだ残っています。興味がありましたらご覧ください。
お腹が満たされたら次はこちら。高松駅に隣接するサンポート。
高校の地理の加藤先生曰く、「いいかお前ら。知らない町に行ったら、まず高い所に登るんだ」。
先生の教えどおり、上ります。
ちなみに加藤先生、「お前ら、北欧は寒いんだ。することねえから、だから…」というような説明をしてくださる方でした。
高校生相手に何を教えてるんだか。
上ってみると想像どおりの絶景。
高松港から小豆島や、高松市内が一望できます。こうしてみると、町の中心部から港まで距離のある松山と、
港のすぐ横に駅がある高松の差は一目瞭然です。
久しぶりの高松、ライブ、楽しみ〜(浮かれてんなあ)。
2 月 25 日 音楽を聞きに高松に
どうしても行きたいライブがあったので、高松に行くことにしました。
前回のライブは 2019 年、松山でした。あまりお客さんの入りがよくなかったのか、近年は香川県高松市までしか来て
いないようです。以前は、高知市の面白そうな小屋でもやってたのにね。
チケットを取り、ホテルを取り、仕事のスケジュールを調整し、後は当日を待つだけ。ちなみに八幡浜からですと、車で
行っても電車で行っても 4 時間近くかかります。ライブは 17:30 開演なので、泊りがけです。
レグザムホールの大ホールでやるのはこちら。
驚くのは、キャパシティが 2,000席のホールで70代のお二方が昼夜2公演を行うということ。凄いなあ。
レグザムホールの小ホールでやるのはこちら。見たかったのは、いわずと知れたハンバート・ハンバート。
梅沢富美男&研ナオコではありません。
昨年11月に出た新しい CD「カーニバルの夢」をひっさげての全国ツアーです。この CD 自体は、ドラム、ベースも
加わったバンド編成の音なので、バンド編成が聞きたかったなあ。高松を含む地方はハンバート・ハンバートのお二人のみ、
都市部ではバンド編成という切り分けになってます。ここらあたりでバンド編成を聞こうと思ったら、大阪か広島。
広島は日程が悪くて諦めました。
17:30 開演、途中、休憩をはさんで 19:40 まで約 2 時間、新曲からおなじみの歌までたっぷり聞かせてもらいました。
生きてて良かったって思うのはこういう瞬間ですね。
私が歳をとったせいか、いいことばかりではなく、気になることがいくつか。
フライング気味の拍手: 私は曲の最後の一音まで聞いていたいタイプ。佐藤良成さんがギターのコードを最後に
ワン・ストロークして終わるような曲の場合、コードの音が消えるまで聞いていたいんですよね。でも、音がなっているうちに
拍手しだすお客さんが少なからずいて、あれれという印象。良し悪しの問題じゃありません。好みの問題。
うるさいPA: もっと気になったのはマイクやアンプなど、PA の音が思った以上に大きかったこと。基本的には二人の歌と
アコースティック・ギター、エレキ・ギター、キーボードしかないのに、ハードロック並みの音量に聞こえました。
佐野遊穂さんの透きとおった声が、単なる大きな声にしか聞こえないところがあったのは残念。じじいになると小さい音が
聞こえなくなるらしいんだけど、今回は逆でした。ハンバートハンバートの場合、子どもづれのお客さんも少なからず
いるので、子どもの耳への影響も心配です。
まあ、そうはいっても、新曲の合間にお二人が、昔の Folk シリーズの曲をしてくれるので、ああ、この人たちは変わって
いないんだな、ということを確認できたのが一番の収穫かも。
楽しい時間はあっという間。アンコールの「ぼくのお日様」を終えての撮影タイム。
みんながスマホをかざすの図。
ホールを出たら雨粒がぽつりぽつり。讃岐うどんを食べることなく、逃げるようにホテルに帰りましたとさ。
2 月 25 日 ここは雪国
今年の八幡浜は雪のあたり年です。愛媛というと温暖な気候という印象です。しかし、佐田岬半島の周辺にある八幡浜は
地図で見ると分かるとおり、関門海峡から日本海の雲が流れ込んでくる位置にあります。風向きによっては冬の日本海の
ような天気になるのです。まさに 2/3(火)からの寒波はその状態。金曜日まで断続的に降りました。
心配なのが農作物への影響。今の時期は袋かけをするような高級品種の収穫時期。例のない降雪による影響有無は
天のみぞ知る。温州みかんが不作だったみかん農家さんにはたまりません。後日の報道によると、ビニールハウスが
倒壊する被害がでていました。
そして、昨日、2/24(月)の寒波。一晩しか降らなかったので積もりはしませんでした。それでも 2 月中にこれほど雪が
降るのは異常です。
明日からは一転して暖かくなるそう。早く春がこないかな。