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日々雑感(2019)



12 月 31 日 あちら治せばこちら治らず
古傷の足首の調子はいまだに完治しません。とはいえ、みかん運びで痛みが増したりしなかったのは幸いでした。

通院している接骨の先生に言わせると、私が使っているフットペダルが足首の快復を遅らせているようです。もともとフットペダルは
腱鞘炎予防のために導入したもの。それが足首の治癒を妨げているというのですから嫌になっちゃいます。

フットペダルをやめると腱鞘炎になる恐れが高まり、やめないといつまでも足首が治らないなんて、あちらたてればこちらたたずです。

足首を痛めてはや一年。そろそろ完治させたいので、試しに左足のフットペダルを使わないでみます。さてどうなるでしょう。

12 月 31 日 みかん終了
今年も例年どおり、10 月から 12 月までみかんの出荷手伝いをしました。期間中の出動回数は 24 回、運んだコンテナ数は 1023 個です
(1コンテナ/22kg)。今シーズンは不作だったため、予定より早く 12/21 に終わりました。



昨年は左足首を痛め、結局、今にいたっても完治してません。今年の作業でひどくならなかったのが幸いです。

12 月 31 日 何だかしんみり
最近、しんみりすることが 3 件ありました。直接知っている方ではないものの、間接・直接的に楽しませていただいていた方の訃報、
退団情報に接したためです。

まずは小島進さん。岩手県盛岡市で「小さな野菜畑」という産直市を営んでいた方です。この方のブログを楽しみに拝見していました。
たまに更新が滞ることがあり、今回もそうだろうと思っていたら、告別式の案内が出ており驚きました。享年70歳。

何でこの店を知ったのかは思い出せません。おそらく、田野畑山地酪農牛乳の取り扱い店であることから知ったものと思います。この方が
書かれているブログの内容は、自店で取り扱う産品、取引先の農家、東北独自の品種や漬物、岩手山の様子、商売のあり方、盛岡の
状況、ラグビーなど多岐にわたっており、それに哲学的な内容から、自虐的な失敗談までおりまぜて楽しい読み物になっていました。

学生時代はラグビー部でフォワードをしていたということから、威圧感のある巨体の持ち主であることが容易に想像できました。でも、
それとは裏腹に、弱者へのいたわり、暖かな心持、たゆまぬユーモアも行間から感じました。

山地酪農牛乳のことで、一度だけ電話でお話をしたことがあります。しかし、田野畑村に行くときは、立ち止まりもせず、いつもお店の横を
素通りしていました。

「入道」様のブログが読めなくなると思うと残念です。ご冥福をお祈りいたします。

次は山口周さん。ハンバートハンバートの公式ホームページで、マネージャーの山口さんが 43 歳で亡くなったことを知りました。
ハンバートハンバートの表に出ているのは二人だけど、実は三人だったことも、その際に知りました。佐藤良成さんとは 16 歳の頃からの
知り合いで、佐野遊穂さんと知り合うきっかけも山口さんだそうです。お二人がどんなに嘆き悲しんでいるのか想像できません。

私が好きだったナターシャセブンは、事故でマネージャーが亡くなったのを契機に坂を転がるように崩壊していったように見えます。
ハンバートハンバートの活動にも影響が出るのではないかと不安です。

佐野さんは、訃報を告知するページで、「大事なひとりが欠けて、「なんか最近ハンバート面白くなくなったね」と言われないよう、これから
頑張らないといけません」と書いています。

山口さんのご冥福をお祈りするとともに、ハンバートハンバートの今後の頑張りにも期待しています。

最後は森田ひかりさん。虚構の劇団のメンバーでした。劇団の公式サイトで 9 月末に退団していたことを知りました。2015 年からこの
劇団の演劇を見に行くようになってから、年に一度の定期公演では必ず出演していました。上手とか器用なタイプの女優さんではありません
でした。でも大柄な森田さんが登場してくるだけで場が明るくなるのでした。

虚構の劇団を率いる鴻上尚史さんは、自分のエッセイの中で、自分が主催する劇団を去っていく団員のことについて書いています。
森田ひかりさんがどのような理由で退団されたのか理由は明かされていません。でも、自分の将来性に不安を抱いて退団を選択した
のではないかと推測しています。

虚構の劇団を見に行っても、もはや森田さんを見ることができないのは残念です。

こんなことが立て続けにあり、なんだかしんみりしちゃってます。


10 月 27 日 ラグビー・ワールドカップ イングランド VS オーストラリア
「一生に一度」を体験しに大分まで行ってきましたよ。観戦したのは、10/19 の準々決勝。



8 月末のある日、なにげにワールドカップ公式サイトでチケット情報を見ていると、大分の準決勝の試合にチケットが残っていることに
気づきました。早速、30 年来のラグビー観戦友達である K村に、行く気があるかどうか尋ねます。家族以外でこの機会を共有できるのは
K村しかいません。東京に住んでた頃は、東京近郊の競技場はもとより、新潟、愛知、大阪の競技場まで一緒に行ってますから。
すぐ、「行く」との返信。

チケットがとれたのが 8 月下旬。その時点で、10/19 に行けるかどうか確証はありませんでした。仕事は自分で調整できるものの、
10 月から始まるみかんの出荷手伝いや台風はコントロールできません。特に、八幡浜から大分県臼杵までは海路ですので台風で
欠航したらアウト。

幸い、みかんの出荷日程も 10/19 にはなく、台風もなく当日を迎えました。

八幡浜からのフェリーでも、イングランドのシャツを着た外国人や、ジャパンのジャージを着た日本人など、同好の士が見受けられます。
日本人は分かるけど、外国人の人はどうしてこんなルートで九州に渡るのか不思議です。四国じゃ試合はありません。聞けばよかったなあ。



K 村と待ち合わせた大分駅の時点でもう外国感満載です。だって改札をでたら大声で英語を話す白人だらけ。シャトルバスへの道も
こんな感じ。



バスの中で聞こえるのは英語だけ。降りてから競技場に向かう間も前後を背の高い白人に囲まれ、日本にいる感じがしません。

普段と違うといえば、恰好もそうです。ユニフォームやユニフォームと同色のシャツを着てるのは当然としても、はっぴや着物状のものを
着てる人もいます。あれ、ワールドカップの公式グッズなんでしょうか。「必勝」の鉢巻をしてる人もいました。




競技場の中に入ったらさらに外国です。ご覧ください。





席に座っても、色々なところに目がいっちゃいます。こちらはプロップ経験者と思われるグループ。もう椅子から体がはみ出しちゃってます。
こんな人が横にいたらたまらないだろーな。



試合前の国歌斉唱も盛り上がります。左斜め前におねーちゃんを連れたイングランド・ファン、右斜め後ろに野郎 3 人組みのオ
ーストラリア・ファンがいる席ですから、両国の国歌とも前後左右から聞こえてきます。

試合中は、相手が反則をすれば「ノックオンじゃねえの」とか「スローフォワードだろ」と騒ぐのは日本のファンと一緒です。でも、
ブーイングで意思表明するのは違うかも。違うといえば、応援歌です。イングランドが好機を迎えたり、ここはがんばりどころという場面に
なると、イングランド・ファンが応援歌「Swing low, sweet chariot」を歌いだします。これこれ。イングランドのテストマッチで聞くアレです。
ワールドカップだなあ。

試合は終始、イングランド優勢で進みます。でもね、あまり面白くないんですね、これが。ひたすら鉄壁のディフェンスで相手のミスを
誘ったり、パスをインターセプトしたりするトライばかりで、日本のようにきれいに崩してとるトライはありません。試合を振り返っても、
トライシーンを思い出せないくらいです。試合は 40-16 でイングランドが勝ちました。

帰りは大変でした。行きは 4 時間くらいの間に分散してきたのに、帰りは 4 万人近い観衆がバスやタクシーに一気に集中するんですから。
結局、シャトルバスに乗れたのは試合終了から 1 時間半後でした。

大分駅前にはファン・ゾーンが設けられており、ちょうどニュージーランド VS アイルランドを観戦できるようになってました。競技場帰りの
観客が吸い寄せられるように入っていくので、ここも盛況です。



こうして、大分の夜はふけていくのでした。

10 月 4 日 臼杵
順番が逆になりますが、9 月の連休を利用して大分県臼杵市に行ってきました。折角、四国の西端に住んでいるんだから、子どもを
九州に連れて行かないとね。それに、子どもと旅行に行けるのも残りあとわずか。大学生になって家をでていくまで、1 年半くらいしか
ありません。もっとも、現役で合格したらですけど。

八幡浜から臼杵まではフェリーで 2 時間 20 分。豊後水道は瀬戸内海から太平洋に抜けるルートのため、大型船が通航しています。
サバ、関アジの漁場でもあるため、漁船も多数います。中には、漁船と大型船がニアミスするシーンも。



臼杵駅前の石仏。ワールドカップ仕様になってる!



臼杵の石仏といえば、この仏様が一番有名でしょう。お顔をどこかで拝見したことがあります。



「縁結び」、「合格祈願」はよくありますけど、「リストラ除け」、「当選祈願」というのは切実というか生臭いというか。



臼杵は城下町のため、古い町並みが残っています。さらって書いちゃいましたけど、自然に残ったわけじゃありません。そういう意思のもと、
残してきたというのが正解。



八幡浜への復路。見慣れた夕景も船上からじゃ少し違います。



臼杵は歩いて回るのに手ごろなよい町でした。

9 月 29 日 ラグビー・ワールドカップ 日本 VS アイルランド
いやいやいや、またやりましたね、ジャパン。アイルランドを破る大金星。南アフリカを破るような金星は一生に一度のこと、二度と
見られないと思ってました。

試合後のインタビューでスタンドオフの田村が、「日本中の誰もが勝つとは思っていなかったけど、僕たちは勝つことを信じていた」という
主旨のことを言ってました。申し訳ない、私も勝てるとは思ってませんでした。

だって、あのスコットランドをノートライに抑えたアイルランドですよ。そのアイルランドが、日本対策をしてきたんだからたまりません。
キックパスを用いたり、ペナルティ直後にタッチキックを狙わずに素早くリスタートしたり。前半は、日本封じをするために、アイルランドが
対策を練ってきたことが明らかでした。実際、それで 2 トライとられましたからね。

でもね、3 点差で前半が終了したあたりから、もしや?という雰囲気を感じました。ハーフタイムが終わって出てくる両チームの選手の
雰囲気が明らかに違ったからです。アイルランドより先にピッチに戻ったジャパンの選手には笑顔が見られ、ダッシュ練習をする余裕すら
ありました。これに対して、アイルランドの選手は目が泳いでおり、自信を感じられません。

日本が追いつき、逆転した後、アイルランドが日本陣内に攻め込みました。ラックからボールは出るものの、球回しをしながら、徐々に
後退していくのが分かります。本来なら突っ込んでくるはずのロックの選手が棒立ちになってパスを回してるんですよ。

これね、負けるときの典型的なパターンです。球は確保できても、相手のディフェンスが揃っており、手詰まりになった状態です。
球を回しながらずるずる後退していき、最後はファールを犯して相手にボールをとられてしまいます。あのアイルランドがまさかこんな
状態になるなんて。

今回は、福岡がインターセプトして相手ゴール前まで独走した時点で、勝負が決まりました。

できすぎだった前回のワールドカップ。今回はコーチ、選手も入れ替わり、不安だらけでした。前回、活躍した中心選手も年をとって
全盛期を過ぎたり、怪我の不安を抱えています。それでも、前回は控えだった田村が押しも押されぬ中心選手になったり、姫野が
マフィ並みの突進力を見せてくれたり、新たな戦力が台頭してきました。

それに加え、今回は前回の経験があります。前回は南ア戦の後のすごし方が悪かったのかスコットランドに負けてしまいました。結局、
3 勝してもポイント数で負けて予選で敗退したのです。

でも、今回は違います。初戦のロシア戦では 4 トライをあげてボーナス・ポイントを獲得したことから分かるとおり、ワールドカップで
決勝トーナメントに進むための知恵がついています。きっと、サモア戦までの準備も、気を抜かずに行うでしょう。

残りのサモア戦、スコットランド戦が楽しみです。

9 月 29 日 ラグビー・ワールドカップ開幕
いよいよ開幕しましたね、ラグビー・ワールドカップ。初戦の日本-ロシア戦は、大きな 4K 画面で見たいというカミさんの要望により、
NHK 松山放送局でパブリック・ビューイングに参加しました。



前半はハラハラしましたよ。だって、フルバックが取り損ねたハイパントを相手に拾われていきなりトライされちゃいましたから。その後の
試合再開のキックオフもフォワードが触ることすらできず、唖然としました。どちらも、大学レベルでも滅多に見ないお粗末なプレー。
後から聞いたところでは、スタジアムでナイター照明の事前確認をしてなかったことや、初戦による緊張が原因のようです。それにしても…。



とはいえ、ピーター・ラブスカフニの独走トライや松島幸太朗の 3 トライなどで、無事逆転。終わってみれば、30-10 で快勝しました。
ああ、よかった。松島は、ステップも鋭ければ、タックルされてもなかなか倒れない、素晴らしい選手です。偉いぞ松島。

無事に勝ってホッとしたのもつかの間、今度は自分達のことを心配する番です。なんでかって? それは、市営駐車場が 22:00 で
閉門しちゃうからです。それまでに出庫しないと帰れません。

試合が終わったのが 21:30 すぎ。早足で歩いて駐車場に向かい車に乗り込みます。人気のない駐車場を地下 2 階、1 階とグルグル
回りながら出口を目指すと、気分もうジェームス・ボンド。出庫したときは 21:57 になってました。危ない危ない。

日本戦の前半を見ているときより、駐車場の方がドキドキしたかも。

次回は 9/28 のアイルランド戦です。がんばれニッポン。

9 月 29 日 最後の読書
その津野海太郎も現在、80 歳オーバー。比較的新しい「最後の読書」という本を見つけました。

装丁が平野甲賀で、表紙の書体も晶文社当時のまんま。サイのマークがないのが不思議なくらい。出版社は残念ながら新潮社。

読んだらこれが面白い。老齢となった自分、同様に老齢となった人達の本の読み方や、蔵書の始末方法などが主に書かれています。

たとえば、目の弱りについて著者は、1964 年に出版された筑摩世界文学大系を読もうとして、細かな活字の A5 版三段組みにむかっ腹を
たて、「むかしの編集者はいったい何を考えておったのか」と怒鳴りそうになったりしています。

「けっきょく問題は、往年の私がそうだったように、現場で本をつくる編集者の多くが小さな活字の本は老人には読めない、読めても
きわめて読みにくい、という現実に気づいていないことにあるのだ。そのため小さな活字を詰めこんだ本を平気で市場に出してしまう。」

しかし、そういうご本人も 35 歳のときは活字の小さな雑誌「ワンダーランド」を出版しており、45 歳のときに、雑誌「SWITCH」の印刷文字が
小さすぎると腹をたてたというんだから笑っちゃいます。

57 歳の私も老眼が進んでしまい、活字の小さな本は読みたくありません。ウチにある晶文社の片岡義男著「10セントの意識革命」なんて、
まさに好例。小さな活字が狭い行間でびっしり詰まっており、ページを開くと、活字の圧に負けてしまいます。

当時の編集者も今となっては同じ目に遭っていると思うと愉快愉快。

それでも、この人のすごいところは、新しい技術にも興味をもっている点です。若い人から、活字の大きさを自由自在に変えられるから
という理由で Kindle にも挑戦しています。

ほかには、蔵書のしまつについても書かれています。

「これまで私は編集者や小さな大学図書館の館長として、物書きや教師やジャーナリストなどの職業インテリ諸氏の没後、のこされた
蔵書をどう処分するかで家族や身ぢかな人びとが苦労するさまを、いやというほど見てきた。そのせいで、できることなら、じぶんの死後に
ああした状態を引き起こすのは避けたい- そんな気もちがことのほか強くなっていたのです。」

この文で描かれている、苦労する側はまさに経験したことがあります。本好きだった父は徐々に減らしていったものの、それでも本棚
4 つ分くらいの本を残して亡くなりました。何日もかけて仕分けをしてから、ワンボックスカーを借りて古本屋まで持っていったものです。

兄のところはさらに本が多く、足の踏み場もないほどなので、どうするんでしょうねえ。私はある時から、なるべく本を買わないようにしたので、
父や兄ほどは家族に迷惑をかけないつもりです。

本好きとして、これから自分がどのように本とつきあっていくのかよくわかりました。

9 月 29 日 津野海太郎、片岡義男、平野甲賀
この 3 人の名前を聞いて「ワンダーランド」という言葉が浮かぶ方は、私よりも 10 歳近く歳上ですね。「ワンダーランド」とは、この方々が
関わった伝説的な雑誌の名前。伝説的という言葉から分かるとおり商業的にはうまくいかず、数号を出版しただけで終わってしまいました。

何でこんな名前を出したかというと、津野海太郎の「おかしな時代」を読んだから。目次にあった片岡義男の名前にひかれて読み出した
ところ、名前だけ何となく知っていた津野海太郎というヒトが、編集者としてワンダーランドの中心におり、晶文社の本を生み出す原動力
だったことがよく分かりました。著者が振り返った 1960 年代から、当時の様子や、その後、著名となった方たちの若かりし頃の様子が
見えて、楽しいことこの上ありません。結構、厚い本なのに、残りのページが減るのが残念なこと。

9 月 29 日 台風15号
愛媛は無事でしたが、関東がやられましたね。関東には知り合いが大勢いるので、台風通過後、連絡してみたところ、東京、神奈川の
方たちは概ね無事で、「生まれて初めて体験する暴風だった」と複数の方から聞きました。その中で、千葉県君津市の方は、家の
フェンスが風で飛ばされただけでなく、まだ停電中でした。

君津の方は自分の状況を知るすべがなかったので、君津で送電線が倒れていること、君津市役所の情報、千葉県庁の情報
(ほとんど無し)、東京電力の停電情報などをメールで伝えました。

この時点で、千葉では 62 万戸が停電中。君津市役所の情報では、停電により地下水が吸い上げられないため、地域によっては断水の
可能性があることも触れていました。

テレビのニュースで触れているのは、一目で風害が分かる東京や神奈川での分かりやすい画像や改造内閣に関する情報ばかり。
違和感ありましたねー。だって、メールの向こう側じゃ大変なことになっているんですから。

結局、知人の停電が解消したのは 9/11(火)の晩、停電してからまる 3 日後でした。連日 30 度を超える猛暑の中、まる 3 日も停電
なんて想像つきません。台風被害は、水害、土砂崩れだけじゃなく、その後の停電にも注意が必要なことがわかりました。

8 月 31 日 ワールドカップ開幕間近
いよいよラグビー・ワールドカップが開幕する 9 月 20 日まで一か月を切りました。日本戦のチケットが外れてからしばらくは
テンションが低下、先日のパンパシフィックネーションで、日本代表がフィジー(34-21)、トンガ(41-7)、アメリカ(34-20)に連勝するのを
見たら、俄然、盛り上がってきました。

試合内容はといえば、フィジー戦、トンガ戦は終始リードして安定した試合運びだったのに対し、アメリカ戦はノックオン多し。
大丈夫かいな。

テストマッチなので、当然、勝った方がよいに決まっています。しかし、好成績だったことよりも、負傷者がいなかったことにほっとして
います。マフィ、リーチ、田村、松島、福岡のような唯一無二のメンバーが本大会を前に負傷したらどうします? そういう意味では、
9/6 の南アフリカ戦はいささか心配。ここで怪我したら、戦力ダウンです。

あまりマークされていなかった前回の大会とは異なり、今回、日本と対戦するチームは周到な準備をしてくるでしょう。何せ、
南アフリカに勝った日本ですから。それに対して勝つのは容易ではありません。

それでも、予選プールを突破してくれることを期待しています。

8 月 31 日 田舎の子供は忙しい
今日は 8 月 31 日。愛媛の県立高校は 26 日から既に 2 学期が始まっています。結局、今年の夏も家族で旅行らしい旅行に
行けませんでした。

というのも、子供が学校に拘束されてしまうので、日程が自由にならないから。どうも愛媛県教育委員会は、子供の自由時間を増やすと
非行に直結すると考えている模様。土日や長期休暇期間中も、クラブ活動や補習などで学校に縛りつけようとします。

放課後や土日は部活の練習や試合などでほとんど休みがなかった中学生時代。その後、ブラック部活が問題になったため、今の
中学生活は少し改善された様子。

高校生になってから、部活は少し緩くなったものの、補習が厳しくなりました。夏休みの例でいくと、7/19 の終業式の後、7/22〜7/31、
8/19〜23 が補習、8/26 には新学期が始まります。補習っていうと、1 学期の復習という印象を受けるじゃないですか。出欠も自由ってね。
ところが愛媛では違います。ナント、授業が進んじゃうんです。休んでも欠席にはならないけど、授業には遅れちゃうわけです。これじゃあ、
休めません。

8/1〜8/18 までは補習がないものの、8/1〜8/9 は部活があるため、実質的な夏休みは 8/10〜8/18 です。

お盆の期間、カミさんの実家のお手伝いなどしていると、あっという間に補習が再開。こうして、今年もどこにも行けませんでした。

唯一、行ったのが大学のオープン・キャンパス。来てるのは、みんな賢そうな子ばかり。これは記念受験ならぬ、
記念オープン・キャンパスだなあと、親子そろって戦意を喪失したのでした。



8 月 31 日 体の細かいトラブル
年初より体に細かなトラブルを抱えておりすっきりしません。始めは、左の足首です。ここは、38 歳の頃に群馬県の水上スキー場で
捻挫したもの。捻挫した時期が年末年始だったため病院に行けないうちに会社が始まってしまい、そのまま放置。

厳密に言うと、その直後、同じくスキーで首を捻挫?してしまい、そちらの方がひどかったため、足はやむを得ず放置した経緯があります。

そして、約 20 年後の昨年 12 月、みかん運びを手伝っている最中に足首を再度傷めました。自然治癒をまったのですが、2 月に入っても
治る気配がナッシング。それから、近くの接骨に通いました。3 カ月通院しても完治しないので、今は別の接骨に通っています。

次が、虫刺されです。寝ている間に左足の甲を刺されました。かゆいのでかきむしったのがよくなかったようで、水泡に発展。水泡とあなどる
なかれ。これがひましに大きくなり、あっという間に縦横 3 センチ、高さ 1 センチです。



こんなに大きくなっちゃって、と感心してる場合じゃありません。じっとしてれば痛まなくても、靴をはけば当然あたります。遠出はおろか
散歩もできませんでした。最後は破裂して、ようやく完治。

そして、現在抱えているのが肘痛です。俗に言うテニス肘というやつ。長時間パソコンに向かう仕事柄、キーボードやマウスを使用する
頻度は普通の人の比ではありません。腱鞘炎やテニス肘は職業病と言えます。

それを知って以来、マウスやキーボードの一部の機能をペダル・スイッチに割り当てる機能を使って自衛してきました。人差し指で
クリックする代わりにペダルを踏むとクリックできたり、Ctrl キーを押せたりできるような仕組みです。だが、しかーし、6 月に油断して、
左手の二本の指で Alt + Tab や Ctrl + c キーをバシバシ押したのがいけなかったらしく、気がついたら左肘に痛みが。

足首、肘のいずれもちょっとした痛みなのに、椅子から立ち上がったり、手を伸ばしたりするのでさえ億劫になってます。いかんなあ。

まあ、57 歳という年齢を考えると、もっと深刻な病気になってもおかしくないので、この程度で済んでいるだけでもありがたく思えって
ことなんでしょう。早く治らないかな〜。

8 月 31 日 放置プレイ
前回、更新したのが 5 月上旬ですから約 4 カ月ぶりの更新です。仕事がそこそこ忙しかったから? それよりも、SNS への関心が
薄まってしまったことが原因かも。

5 月 11 日 平家平、冠山

連休中、唯一の遠出は山登りでした。快晴の中、高知県側の高藪登山口から登ります。今回の高藪登山口の林道は入口が大変
わかりづらく、事前にインターネットで予習して行かなかったら、途中で引き返していたかもしれません。途中で「平家平」の看板が
でてくるので間違っていなかったことがわかるのですが、県道からの入口には標識も看板もありませんでしたからね。

舗装が切れてからも林道を進むこと 5 分。ようやく登山道に到着です。



今回、平家平を選んだのにはワケがあります。それは足試しです。実は、昨年の 12 月から、20 年ほど前にスキーで捻挫した左足首が
痛くなり、2 月から接骨に通っているからです。

しばらく様子を見ていたものの、治る気配がないため接骨に通いだしたのが 2 月。GW までには治るだろうと思っていたのに、未だに
通院している始末。足首という部位のせいなのか、はたまた加齢のせいなのか、治るのに時間がかかっています。

それでも、普通に歩くのには不都合ない程度になっているため、初心者向けの平家平で足試しをすることにしたのです。



平家平まですんなりと登ることができたものの、隣の冠山に行ったものかどうか躊躇します。過去の経験からすると、こういった欲張りな
行動で痛い目にあっているからです。挫いた足首だって、「最後に一回」と上級者コースに挑戦したのが原因。ですから、冠山に行かなきゃ
よかったと後悔しそうな気がしました。

ここまで思い到るのは年の功です。でもね、結局行っちゃいました。だって、また来られるかどうか分からないんだもーん。



歩きやすい道に見えますがとんでもない。足元が笹で見えない登山道には岩が隠れていて、何度かひやっとすることがありました。
それでも慎重に歩いたせいか、平家平から冠山まで往復しても足首に痛みはでませんでした。





正面に見えるのは、昨年登った笹ヶ峰です。ちなみに写真の下方に写っている岩の下は断崖絶壁になっています。景色はいいものの、
お尻がムズムズしました。



平家平からの下りも上りと同じくらいの時間をかけたので、最後まで膝がもちました。ああ、よかった。その後は、近所の木の香温泉に
入って帰りましたとさ。

5 月 11 日 たけのこ伐採
今年もたけのこの季節がやってきたので、実家の裏山で伐採を開始しました。昨年は西日本豪雨で裏山で土砂崩れがおきたため、
隣の竹林の竹が異変を察知して、こちら側に根を伸ばすのをやめるのではないかと期待したのですが、甘い甘い。そんなことお構い
なしに、ボコボコでてましたよ。



既に 2 回行って、計 20 本以上切り倒しました。5 月後半まで見回りを続けます。

5 月 11 日 裏山の工事
昨年の西日本豪雨で土砂崩れを起こした実家の裏山でようやく工事が始まりました。具体的には、法面の上のフェンス工事です。
この法面は愛媛県が施行した工事箇所でして、土砂でフェンスがなぎ倒されてしまったため、その修復をするものです。





たかがフェンスというなかれ。完全には防ぎきれなかったものの、フェンスが土砂と倒木をくい止めてくれたので、母屋に被害は出ません
でした。フェンスがあるのとないのでは安心感が違います。災害直後の状況はこのとおり。



そして、フェンス修復後はこのとおり。ブルーシートのかかっているところにあった樹木と土砂が滑り落ちてきたのが一目瞭然。



半年以上待ちましたが、ようやく工事が始まりほっとしています。7 月より前に完了するといいな。


4 月 16 日 実用国語
田舎の高校生といえど、ウチの子は学校で定期的に模擬試験を受けています。1 月に受験した科目に「実用国語」がありました。これは
2 年後の大学受験で変わる記述式科目です。

結果が返ってきたところ、ウチの子は見事に 0 点。

これだけ聞いたら個人の資質の問題です。でも、50 点満点の平均点が全国で 4.1 点だとしたらどう思います?模試を主催している
有名予備校だって、大学入試センターのモデル問題をもとに出題してるでしょうから、荒唐無稽の設問じゃないはず。

全国平均が 4.1 点しかとれないような試験で何を評価しようっていうんでしょう。本番まであと 2 年なのにね。

4 月 16 日 ハンバートハンバート
とうとうライブに行ってきましたよ。「ハンバートハンバート家の平日 2019 春篇」です。イヤイヤ、生きててよかった。久しぶりに
思いましたね。



公式ホームページで過去のライブ開催地を見ると、近くても高知、広島です。遠征しないと見られないかなあなんて思っていたら、今年の
ツアーじゃ高松の後に松山が入っているじゃありませんか。

まさか、ファンになってわずか半年、しかも愛媛でライブが見られるなんて夢にも思いませんでした。チケット売り出しの日は、
販売開始時刻の前にはパソコンに向かってスタンバイ、すぐに購入しましたよ。

ライブ当日は、子供の模試があり、ライブの開始直前にしか着けなかったのが災いし、立ち見となりました。

最初のアイリッシュの曲、手持ちの CD、DVD では聞いたことなかったけどよかったですね。それ以降に演じられた中で知っている曲を
挙げると次のとおりです。

まぶしい人
1時間
メッセージ
小さな恋のうた
ホンマツテントウ虫
ひこうき雲
生活の柄
ぼくのお日さま
永遠の夕日
大宴会

おいらの船
おなじ話
横顔しか知らない
長いこと待っていたんだ
国語
アルプス一万尺

もう、毎日のように CD を聞いたりライブ DVD を見ているので、3 分の 2 以上は知っている曲でした。それでも、生はいいですね。
佐野遊穂さんの透き通った声、佐藤良成さんの多彩なギター、聞いていて飽きません。それに、CD と差を感じないと言うか、ライブを
聞いてガッカリなんてこともありません。

休憩をはさんで以降、たたみかけるような曲の構成に乗せられて、後半はお客さんの熱量もあがった感じです。やるなあ、
ハンバートハンバート。

「ワレワレは宇宙人ダ…」という曲、曲名を知りませんけど、楽しいパフォーマンスでした。「FOLK1」のライブ DVD でやっていた
アルプス一万尺もしてくれましたよ。こっちに来たらどうしようって、ヒヤヒヤしながら見てました。先生に指されないように息を
ひそめている小学生かよっ! あたしは踊れるから大丈夫って、カミさんは後から言ってましたけど。

余計なお世話ですが、立ち見が出るくらいになって安堵しました。だって、ツアーの開催地で、なかなか売り切れにならなかったのは
愛媛だけ。折角、13 年ぶりに愛媛にツアーに来てくれるのに、空席なんてあろうものなら演者に失礼じゃないですか。そんなことが
あったら二度と来てくれなくなっちゃうかもしれません。

オヤジに巻き込まれて連れて行かれたカミさんも子どもも大満足です。気づいたら、T シャツとライブ CD を買ってました。

やるなあ、ハンバートハンバート。

来年も松山にきて、今度は「バビロン」を聞かせてください。

4 月 16 日 しまなみ海道2
まずはこの景色をご覧ください。しまなみ海道の中で今治に一番近い大島にある亀老山展望公園からの眺めです。眼下に見えるのは
来島海峡大橋です。



写真を見て分かるとおり、ここは山の上です。したがって、自転車でここまで上がれるのは健脚です。それでも、写真でこれを見たら
しまなみ海道に行きたいって思うでしょうね。

夕焼けや、ライトアップされた橋、今治の夜景など、ちょっと考えただけでも素晴らしい景色が見られそうです。また、行きたいぞ
亀老山展望公園。

4 月 16 日 しまなみ海道1
八幡浜の商店街も休日になるとこのとおり、観光客でにぎわっています。





というのは嘘で、ここは広島県尾道市の商店街。春休み中の日曜日とはいえ、人の流れが絶えません。

30 年ほど前、バイクで西日本ツーリングをしている最中、尾道のユースホステルに泊まりました。その頃は大林宣彦監督作品のロケ地に
なったということで、ロケ地巡りの地図ができていましたが、それ以外にこれといった観光資源もありませんでした。尾道ラーメンなんて
言葉ができたのは大分後になってからです。

それが今では大違い。おそらくしまなみ海道のおかげでしょう。広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道は、サイクリング・コースが
大人気で、日本はもとより海外からの観光客も大勢きています。



街中や駅前では当たり前のように外国人観光客がおり、街中には外国人をあてにしたと思われるゲスト・ハウスがいくつもありました。

尾道のよいところは、街が小さく、狭いエリアに密集しているので歩いて回れることです。また、高低差や海があるので、様々な景色を
見ることができます。



しまなみ海道は、尾道市の自助努力によるものではありませんが、しまなみ海道が世界的に誇れる観光資源であることから、
今後も観光地として安泰な気がします。

ただ、今回「おのみち映画資料館」に行って気になったことがありました。それは大林監督に関する展示がなかったことです。私や
カミさんの年代で尾道といえば映画「転校生」。先ほど、触れたように、過去にはロケ地巡り用の地図もありました。私の知っている限り、
ロケ地巡りの地図がつくられたのは尾道が一番最初の気がします。

そんな尾道なのに、「おのみち映画資料館」には大林宣彦監督に関する資料、記述が一切ありません。あるのは小津安二郎や新藤兼人に
関する資料ばかりです。不思議に思い受付の方に尋ねても要領を得ません。

帰ってインターネットで検索してみると、どうやら大林監督と尾道市がもめており、「おのみち映画資料館」では大林監督の作品を扱って
いないようです。

どのような経緯があったのかは分かりません。それでも、特定の年代にとって大林映画と尾道を切り離して考えることはできません。
いずれ、監督と市が和解して、大林監督に関する展示が行われるようになることを願ってやみません。

4 月 16 日 虚構の劇団「ピルグリム2019」
今年も新居浜まで虚構の劇団を見に行ってきました。今回の演目は第三舞台が初演の「ピルグリム」を手直しした「ピルグリム2019」です。
相変わらず、鴻上さんの劇は難しいです。今回も、後から考えて、あれは何だったんだろうと思わせる箇所がありました。

劇団員の方達を見るのも 4 年連続なので、お久しぶりとか、うまくなったなあとか思います。森田ひかりさんは妊婦の設定でお腹を膨ら
ましており、最初は素で妊娠したのか、設定なのか分からずハラハラしました。まっ、常識で考えれば分かるんですけどね。小野川晶さんは
美人なのに被りモノを被ったりして、見た目で勝負したくないことがよく分かります。

今回、よその劇団から客演していたのは伊藤今人さん。話を進める上で重要な役を演じていました。その重責に負けず、安定していて
良かったです。

今回、特に気になったのは、辻捺々さんです。劇団員ではなく、オーディションを受けて出演しています。演劇ではアンサンブル
というらしいのですが、セリフのないその他大勢のような役割で出演しています。

最初に目を惹いたのが、顔の前に黒いパネルを持って二人で並んで踊っているシーン。黒いパネルにプロジェクション・マッピングで
文字が写ります。本来、二人の動きはシンクロしてなければならないのですが、ずれてしまい、アレアレと思いました。

ところが、左側の方の足さばきが軽やかで、きれいなんですよ。テレビの歌番組なんかでも、歌手の周りでダンサーが踊っているシーンが
あります。皆、プロですからうまいのは当然です。その中でも、思わず見入ってしまう方っていませんか? それぞれの動作に一瞬タメが
あるというか、所作がきれいというか、何か違うんですよね。今回はそれが辻さんでした。

それ以降、アンサンブルで辻さんが出てくると注意して見るようになり、見てるとやっぱり他の方と違います。

虚構の劇団では、劇が終わると出演者が劇場の出入り口に並んでお客さんをお見送りしてくれます。その際、辻さんに声をかけたものか
迷いました。

よかったという思いを伝えたいというのが最初の素直な気持ちです。でも、その後、ちょっと待てよと別な声がします。相手はハタチ前後の
きれいな女性です。それに対して、オヤジが声をかけるのは助平ジジイに見えるんじゃないのと。実際、後からこの悩みを家族にしたところ、
そう見られる可能性大という指摘を受けました。

また、エラソーじゃないのという気もしました。私の気持ちの背後には、無名の若者に客の反応を伝えて励みになればという思いがあります。
でもね、それって私の思いあがりじゃないのっていう気もします。だって、相手が有名な俳優さんだったら、同じように踊りがうまくても、
決して声はかけませんよね。だって、その方の技量が高いことは誰もが知っているわけですから。それを、演劇に詳しいわけでもない
トンチキオヤジが、「良かったよー」って。何様のおつもり!って自分でつっこんじゃいます。

それにね、並んでいる劇団員の中から、辻さんだけに声をかけるのはどうかなという思いもあります。他の先輩方だって頑張っている
わけですから。

こんなことで悩んでいるうちに、出口に達してしまい、結局、声をかけられませんでした。

今でも、どうすればよかったのかわかりません。どうすればよかったのでしょう、鴻上さん。

2 月 17 日 山懐に抱かれて
このホームページではかねてより田野畑山地酪農牛乳を応援しています。その牛乳の生産農家でもある吉塚公雄さん一家を
テーマとした映画「山懐に抱かれて」が、テレビ岩手により 4 月に公開されることになりました。

テレビ岩手は 20 年以上にわたって吉塚家を取材しており、同社の開局 50 周年記念の一環として制作したドキュメンタリーを
映画化することになりました。吉塚さん、岩手ではそこそこ有名でしたが、これで全国区になるわけです。

書きたいことが山ほどあって整理できないため、まずは情報提供まで。

2 月 17 日 ラグビー・ワールドカップ
ラグビー・ワールドカップ、今年ですね。盛り上がってますか?私はテンション、ダダ下がりです。だって、チケットが取れないんだもの。

11 月の先行販売では 3 試合ともすべて外れ。1 月 19 日の一般販売にいたっては、アクセスが集中してチケット販売サイトにログイン
すらできませんでした。「責任者でてこーい」って感じです。

ラグビー・ファンとしては競技場で日本代表の試合を応援したかったなあ。でも、チケットがとれなきゃしかたありません。テレビ観戦で
我慢しましょう。

そんな中、先日行われたサンウルブズの試合には、トンプソン・ルークが復帰していたのが嬉しいニュースです。前回のワールド・カップ
ではレギュラーのロックとして獅子奮迅の活躍をした人です。倒されても倒されてもすぐに起き上ってタックルしにいく姿は感動的ですら
ありました。

年齢を理由にワールドカップは前回で最後と言っていたものの、熱意と体調のよさから、サンウルブズに加入したそうです。できれば、
日本代表にも復帰したいとのこと。がんばって欲しいなあ。私もワールド・カップに対するテンションが少し快復してきましたよ。

2 月 17 日 八幡浜タウンツーリズム
昨年から公民館主催のタウン・ツーリズム講座に参加しています。講師の岡崎直司さんの解説を聞きながら古い建物を見て回る
というものです。

今回、養蚕に関わる建物を 2 つ見学したのでご紹介します。

まず、八幡浜市にある愛媛蚕種。





はじめに蚕から糸を作る工程を簡単にご説明しましょう。蚕糸業は、蛾から卵を採取する蚕種業と、蚕が繭になるまで飼育する養蚕業と、
繭から生糸を製造する製糸業の 3 つから成り立っています。こちらの愛媛蚕種は、名前から分かるとおり卵を採取する所です。







こちらが西日本で唯一稼働している蚕種工場であることは知っていました。しかし、どのような所に出荷されているのか知りませんでした。
営業してるってことは、買うお客さんがいるってことです。京都の呉服屋が扱うような高級着物にでも使われているのかなあなんて漠然と
想像していました。だって、蚕種→養蚕→製糸という工程を得ないと糸にすらならないんですから。どれだけ手間(コスト)がかかるんだろう
という話です。

蚕の使い途は思わぬところでした。化学メーカーです。化学メーカーが、遺伝子を操作した蚕を育て、蚕にインターフェロンを
作らせているのです。

古い温泉旅館のようなこの建物が最先端のバイオ・テクノロジーの一端を担っているとは知りませんでした。ビックリしたなあもう。

次は、西予市にある西山田公会堂。

こちらは西山田公会堂。かつては養蚕施設兼集会場として使用されていました。建物の入口の下に、蚕が食べる桑の葉を保管する
スペースがあります。



普段は畳が敷いてありますが、その下は板敷になっています。この床板にはスリットがあり、地下から暖かい風が吹き出す仕組みが
あります。地下に炉があって、そこで炭を燃やしていたんだそうです。蚕を冷やさないための床下暖房ってことですね。





大変勉強になりました。

2 月 17 日 ああ閉館!
隣町にあったシネマ・サンシャイン大洲が 1 月 6 日をもって閉館しました。赤字がその理由です。



2015 年、愛媛に引越した当時、隣町に映画館があることは救いでした。マイナーな映画やマニアックな映画は除き、全国レベルで
展開されるレベルのものはこちらで見ることができたからです。

私だけでなく、中学生となった子供もこちらで映画を見るようになりました。これからは、松山まで行かなければなりません。映画鑑賞は
1 日仕事となるため、見る本数が減りそうです。




短い間でしたが、家族そろってお世話になりました。ありがとう、シネマ・サンシャイン大洲。