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日々雑感(2010)

日々の雑感を綴っています。最上段が最新です。
補足)
11月17日付けのものは、2010年11月17日に更新予定だったものです。2010年のページに入ってますが、ホームページ更新用の
パスワードが分からなくなり、2011年4月1日に更新しています。

11月17日 クレイジー・ハート

飯田橋のギンレイ・ホールで、映画「クレイジー・ハート」を見ました。
久しぶりによくできた人間映画を見た気がします。行って良かった。

ストーリーは落ち目のカントリー歌手がドサ回り中に、娘と言っていいほど
歳の差がある女性と知り合うことから始まります。
カントリーには疎いのですが、片岡義男の短編の中にいくつかカントリー歌手を
テーマにしたものがあったので何となく雰囲気は知った気になっています。

見ていて、以前、あまり有名ではないギター・デュオを追っかけて地方の
ライブ・ハウスやホールに行ったことを思い出しました。映画の主人公はワゴンに
楽器を積んで一人でアメリカをツアーしています。私の好きなギター・デュオも、
白いクラウンのワゴンにギターを積んで、ジャパン・ツアーと称して日本中を
走っていました。

主人公はジェフ・ブリッジスです。「恋の行方(Fabulous Baker Boys)」や
「ブロウン・アウェイ」の主役を勤めた人です。日本ではあまり有名では
ありませんが、好きな俳優の一人です。
「恋の行方」では、売れないピアノ弾きを演じており、今回は売れない
カントリー歌手です。偶然でしょうけど、売れない役回りです。
今回の年老いたジェフ・ブリッジスの方が好ましく感じました。

主人公が一人で移動する映画のため、登場人物は多くありません。
その中にロバート・デュバルがいました。この人、ここ数年で最も好きな
俳優です。西部の荒野にいるカウボーイのたたずまいが似合う人ですけれど、
登場するだけで、いい映画の予感が増してきます。

劇中、主人公が、かつて自分のバック・バンドにいた若者とデュエットする
シーンがあります。それを見て、好きなギター・デュオが、かつて所属していた
バンドの再結成コンサート後に、「不思議なもので、すぐに昔の感覚が取り戻せる
んですわ」と話していたことを思い出し、泣けました。

アメリカは、いつの頃からかパッとしなくなりました。昔は憧れであった国も、
徐々に憧れよりも幻滅が目につくようになりました。アメリカが誇る映画も CG の
氾濫に加え、昨年のアバターの 3D など、ストーリーよりも新技術を喧伝する
映画のみが流行るように見えます。

そこに行くと、この映画は、今も昔のままあり続ける広い大地、そこでつつましく
暮らす人々の生活の苦楽を、昔ながらの技法で丁寧に描いています。
どこかの映画評で、昔からアメリカ映画には派手ではないけれど、このような
良心的な映画が存在したと評していました。
確かに、「ドライビング・ミス・デイジー」、「フライド・グリーン・トマト」、
「ギルバート・グレープ」、「ノーバディズフール」、「スモーク」、
「サイダー・ハウス・ルール」など、主流ではないものの、
人生の機微を描写した映画がありました。まさしく、今回の映画もその流れを
汲む良い映画でした。

残念ながら、私の好きなギター・デュオは悲しい結末を迎えてしまいました。
こちらの主人公の結末は、それよりも希望が持てるものでした。


11月17日 久々に興奮したマシン

本田のアシモ以来、久しぶりに興奮するマシンを見つけたのでご紹介します。

それは一人乗りのヘリコプターです。商業化されて数年たっていたものの、先日、
NHKの番組で見るまで知りませんでした。

まずはこちらで実物をご覧ください。

作成者は柳沢源内さんという方です。実用的な発明で特許もとっている方です。
「源内」から連想するのは平賀源内ですけれど、この方も名前に負けず独創的な
方です。それとも名は体を表すということでしょうか。

町の発明家というと、アイデアはいいけれど実現方法に難ありという印象が
あります。しかし、この方は、理論(機械工学が専門)を学んでいるだけでなく、
実業の経験(オートバイ・メーカー勤務、単品の特殊製品作成工場経営)を通して、
アイデアを具体化する方法、経験を有しており、なおかつ実用特許を考案・実現
した経験がある点が異なります。

ヘリコプター作成は、当初、エンジンの軽量化から始まったそうです。専門家でも
ないのによく手をつけたなあと思いました。ところが、これは大きな勘違い。
この方にとっては自然な発想だったことが分かりました。機械工学を専攻して、
その後、DSK にお勤めだったためです。
私の世代ですと、DSK はオートバイの歴史の中でしか目にしないメーカーで、
BMW の R25 という単気筒車をフル・コピーしていた会社です。

このヘリコプターがすごいのはこれだけではありません。見ていただければ分かり
ますが、テール・ローターがありません。ヘリコプターは、機体がローターの
回転につられて回らないようにするためにテール・ローターを使用するのが
一般的です。
しかし、GEN は二枚のローターを反転させることでテール・ローター使用せずに
回転を制御し、なおかつ方向転換の際は、ローターの回転速度に差をつける
ことにより方向転換を可能にしています。
反転しているローターの回転差をどのように制御しているか分かりませんが、
実用化に際して、難しい個所の一つであることは想像できます。

GEN が今の形態で飛行するようになったのは 1998 年頃です。その少し後に、
アメリカ発のセグウェイがマスコミに大々的に取り上げられました。
セグウェイは体重移動で方向を指示できる 2 輪の乗り物です。
大雑把ですが、発明家が作成した新しい乗り物ということで、GEN とセグウェイを
単純に比較してみます。

GEN
値段:\7,500,000
重量:75kg (乾燥)
実用性:航空法の許可が必要。どこでも飛ばせるわけではないらしい。

セグウェイ
値段:\935,000
重量:47.7kg
実用性:道交法の規制により、公道での使用不可。遊園地、工場などの私有地
     での使用。

セグウェイ、一時期、夢の乗り物として話題になりましたね。ふたを開けてみたら、
なーんだ、と思った記憶があります。公道で使用できないということが最大の
ネックだと思われますが、それがなくとも値段を考えると欲しいとは思えません。
それに、公道使用と値段の問題がクリアされても魅力を感じません。実用性では、
既存の自転車や車で十分です。また、おもちゃとしても楽しそうじゃありません。

それに比べると GEN は楽しそうです。実際に飛んでいるエンジン音を聞くと、
レーシング・マシンが空を飛んでいるようです。機体の上下に連動して音が
上下します。おそらく、フライホイールを無くすか軽くすることで、軽量化と
レスポンス向上を狙ったためと思われます。

この GEN、どのような用途に使えるのか分かりません。災害時の足として使う
案もあるようですが、実用でなく、おもちゃとして見ても楽しそうですね。

さらに詳細を知りたければ、GEN のサイト内にある PDF ファイル
「二重反転一人乗りヘリコプター GEN H-4 開発と将来展望」をご覧ください。
開発経緯が詳しく書いてあります。


11月17日 すっぱいキウイ

スーパーでキウイを買うと1個¥90 くらいです。先日、農業祭をひやかしていたら、
5 個¥200 で売っていたので、安さにつられて買ってしまいました。

帰って食べてみたらすっぱいことすっぱいこと。舌と頭はそこそこ甘いキウイを
想定していたので、実際以上にすっぱく感じます。あんなにすっぱい思いをした
のは久しぶりです。

どうやら、キウイは自然のままだと酸っぱくて食べられないため、熟成が
必要なようです。ネットで検索すると、リンゴと一緒に袋に入れて熟成するように
書いてありました。1 個あたり¥50 の差は手間の分だったんですね。

ここまで調べて、ようやくかみさんが、「そういえば、以前、テレビでリンゴと一緒に
熟成させるって見たことがある」と言い出しました。食べる前に思い出せよ。


11月17日  ニュー・シネマ・パラダイス

午前十時の映画祭で「ニュー・シネマ・パラダイス」を見てきました。午前十時の
映画祭とは、東宝の映画館で行っている名画上映イベントのことです。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は、私にとって、五段階評価で 5 〜 4 の名画で、
劇場で見られる機会はあまりないので行きました。

人によっては、好きな映画をせりふを覚えるくらい何度も見るという方もいます
けれど、私の場合、大事な映画はテレビでしていても見ません。
また、劇場で見るにしても、頻繁に見て陳腐化するのを避けたいので、
なるべく間を空けて見るようにしています。この映画を最期に見たのは 1991 年
なので、ストーリーを殆ど忘れており、新鮮な気持ちで見ることができました。

前回見たのは今から 19 年前です。29 歳だったので、子供はおろか結婚も
してませんでした。従って、映写技師のアルフレッドの心情にはなかなか近づけ
ませんでした。
ところが、私も 48 歳、一児の父となった今では、主人公のトトが自分の子に重なり、
アルフレッドの心情もよく理解できるようになりました。
というより、もはやアルフレッドの立場でしか見れなくなっています。

このように、映画を見る視点が大きく変わってもこの映画は良い映画でした。映画に
よっては、久しぶりに見たら以前ほど感動しなかった映画もあります。ところが、
この映画は違います。なぜ、感動するのだろうと自分なりに分析してみても、
分かりません。しかし、なぜか知らずに涙があふれてくるのです。イタリアが舞台
なのに懐かしく思うのはなぜでしょう。琴線に触れるということなのでしょう。

今度見る時も、いい映画として見られるか楽しみです。
10月28日 クルマ酔い

もう寒くなってきましたね。少し季節にそぐわないですが、まだ暑かった頃に書いた
ものを2件アップします。

夏になると、子供と海や川に行きたいのはやまやまです。しかし、なかなか行けません。
クルマのクーラーの効きが弱いため、クルマでの移動を家族が拒否していることが
主な原因。35 度の猛暑日にうっすら汗をかく程度で旧車に乗れたら十分、なんて
理屈は通用しません。

それよりも問題なのは子供のクルマ酔いです。4歳くらいまではどうってことはなく、
クルマで旅行に行ったりしていました。5歳頃、幼稚園の遠足でバスに酔うように
なった頃から家のクルマでも酔うようになりました。
先日も所沢に行こうとしたら途中で顔が青くなり、それ以上先に進めなくなりました。
結局、子供はカミさんと一緒に電車で帰りました。

子供のクルマ酔いは三半規管の成長に伴う一時的なものだそうです。
一生続くわけではありませんが、子供と一緒に遊べるうちに治ってくれることを
願っています。

クルマ酔いを治すのに、でんぐりがえりをすると良いと読んだので、早速子供に
やらせてみました。笑っちゃうほど不恰好です。
クルマ酔いを治す前にでんぐりがえりをできるようにしなきゃ。


10月28日 乾徳登山

一昨年も昨年もお盆の頃に登ったところ、見晴らしが悪かったので、今年は少し
早めの 7 月末に登ってきました。

登りのコースを変えたのがいけなかったのか、登りの時間が 1 時間弱余計に
かかりました。下りもあいかわらず足場が悪く慎重に降りたせいか、それとも
右膝をかばったのが原因か、左膝が痛くなってしまい参りました。

今回は晴天だったものの、山頂から見ると眼下に雲海のように雲が広がっており、
見晴らしは今ひとつでした。でも、雲海に浮かぶように少しだけ富士山が見えたのは
ラッキーです。

どうもこの山の夏は、あまり見晴らしがよろしくないことが分かってきました。
秋はきっと見晴らしがいいんでしょう。
今年も鹿と3回遭遇しました。鹿に合う確率は 100% です。それだけ鹿が増えている
わけです。今年はベアベルを付けていったのが効いたのか、熊は見ませんでした。

近頃、山ガールとかが流行っているそうですけれど、3 年間で一度も遭遇していません。
鹿より山ガールの方が生息率が低いのでしょうか。乾徳山は百名山は百名山でも、
山梨百名山で地味なのが原因かもしれません。会ったのはおじさんばかりです。
途中で 60 代過ぎのグループを見ましたが、無事に下りてこれたら立派なことです。
私はあの歳で乾徳山に登れるか自信がありません。

それにしても、この山は鎖場があることに加えて、下りに慎重さが必要です。
足を乗せると滑りそうな石が多く、気をつけていても毎年転んでいます。
毎年登ると、自分の体力のバロメーターになります。今年の結果は、時間がかかった
ことと膝が痛んだことから少し残念な結果になりました。



8月18日 子供とプール

ここ数年、夏は近所のプールに行ってます。近くに古いアスレチック・クラブがあり、
子供が通っているので、日曜は親も遊びに行けるのです。
このプール、メガロスみたいな全国チェーンと設備は比べようもありません。しかし、
真夏でも空いており、いつも快適に遊べます。子供は幼稚園からスイミングに
通っているため、私が教えることもなく、泳げるようになりました。
そういえば、子供が浮き輪で遊んでいるのを見たことがありません。
今ではクロールで 50 m 泳げますし、生意気にバタフライもできます。

昨年まではまだ、遊ぶという感じだったものの、今年からとうとう子供のクロールに
追いつかなくなりました。今日に至ってはバタフライを教えられる始末。

「バタフライは膝を曲げちゃいけないの。父ちゃんのは膝が曲がってる。」
「それから、腰はなるべく上げて。」
「じゃあ、もう一回やってみて。」

アッレー??、親子の立場が逆転しちゃいました。


8月18日 夏にかかせないもの

梅雨も終わり猛暑到来です。夏と言えば、朝顔にかぶと虫です。
今年は、小さなくわがたしか捕まえておらず、寂しい思いをしていました。
先日、子供と家の前にいたところ、知らないおじさんにかぶと虫をいただきました。
つかまえた場所はウチの近所の林だそうです。私も気にしながら歩いて
いるのですが、ついぞ見つけられません。虫取りのセンスがないようです。

今年もいただきものなのが何ですが、主役確保です。朝顔は、昨年子供が
育ててたくさん種をとったのがあります。プランターも買い、たくさん育てるように
計画しています。これで今年の夏も風物詩がそろいました。


8月18日 花火

先日、花火を見に行きました。天気が怪しく雲が立ち込めています。7 時 30 分
開演なのに、7 時 20 分頃からぽつぽつ降り出しました。ビニールを敷いて
家族 3 人でお弁当を食べていましたが、傘をささねばならず、気分が下がります。

それでも、小雨のままなので、無事始まりました。ここの花火は 5000 発と数は
さほどではありませんが、30 分間で打ち上げるため、高密度です。
おまけに音楽と合わせて打ち上げるのでドラマチックです。
今年も音と光のシンフォニーにやられてしまいました。

大げさですけど、見ると「生きてて良かった」と思います、ホント。
特に、今年は家族 3 人一緒に来れるか危うかったので、なお更、強く感じました。
来年も 3 人で見れるといいですね。


8月18日 おさわり

おさわり魔とは言っても触る相手はうちの子供です。小さい頃から可愛いので
さわりまくっていました。特に触るのは幼児体型につきもののぽっちゃりしたお腹です。

当然、子供は赤ちゃんの頃から触られ慣れているので存分に触らせてくれていました。
男の子でよかったです。これが女の子だと少し問題がありそう。

だが、しかーし、幼児体型から少年体型に変わるのにつれて、とうとう最近嫌がるように
なってしまいました。

いい子だから、もうちょっとおじさんに (もとい父ちゃんに) 触らせて。



5月5日 久しぶりの箱根

久しぶりに E21 で遠出しました。箱根新道を往復して沼津経由で伊豆に行きました。
三島から小田原までの国道 1 号線が楽しかったですね。

三島から頂上まで一気に上がっていく途中に 60K 以上で回れるカーブが続きます。
箱根新道よりカーブのRはきついですが、奥多摩方面にはない緩やかなカーブです。
国道なので、トラックやバスなどの遅い車がいるものの、遅い車用の車線が随所に
あるため、イライラが続くことはありません。
今回も何度目かの登り車線でタイミングよく先頭になったので、それからはマイペースで
走ることができました。
ギア比がこの坂に合っているらしく、トルクが出てくる回転まで回るので、60K 以上の
ペースを維持して走れました。行ったことがないから分かりませんけど、ヨーロッパの
道路の勾配や、R はきっとこんな感じなんだろうなと勝手に想像してしまいました。

E21 は、走行距離が 149000K になり、塗装の色あせ、シートのほつれ、ダッシュボード
のひび割れなど、外観全般の傷みが目につくようになりました。すべてを完璧にする
財力はないため、財力のありそうな方にお譲りして、きれいに維持してもらった方が
良いのではないかと弱気になることもあります。
それにしても、年に 1 回でも、こんなに気持ちよく走れると、まだまだ手放したくないなあ
と思いました。



5月5日 希望のギター

私が好きだったギタリストが、自由を拘束されてから5年以上がたちます。そろそろ、
自由になる頃だと思ってアンテナをはっていたところ、(その筋では)高名な海外の
演奏家のバックバンド・メンバーとして私達の前に姿を現したことを知りました。

恐らく、5年ものブランクが空くとそう簡単には指の動きが戻るとは思えませんが、
自由にならなかった時間に昇華された音楽への想いが、どのように音楽に反映されて
いるか興味津々です。

こちらもこの 5 年間にデッドボールを少なからず受けており、ギタリストの奏でる音色を
より深く受け止められる素地が深まっている気がします。
そのギタリストの相方は彼岸に行ってしまったので、少なくとも、二人一緒の演奏は
二度と聞くことはできません。しかし、単独での演奏がまた聞くことができる可能性が
あることは、大いなる希望です。

何年先になるか分かりませんが、ぜひ、聞いてみたいものです。


5月5日 広島人のメンタリティー

私がコンピューターの仕事を覚えた会社は、本社が広島にあった関係で社員の大半が
広島の方でした。その経験から広島の方には何となく好意的な印象があります。

先日、朝日新聞に載っていた記事を見て広島県人のメンタリティーに触れた思いが
しました。記事は原爆に関連する元B&Bの島田洋七のものです。その中で島田洋七は
自身の経験として、ある飲み屋でお年寄りが言った言葉を挙げています。
核拡散防止条約に関するテレビ・ニュースが流れた際に、そのお年寄りが「原爆が
落ちたのが他の場所ではなく広島で良かった。そうでなかったら、他の場所で
悲しい目に遭う人がもっと増えたから」という趣旨のことを言ったそうです。

そんな仏様みたいな人がいるのだろうかと感じるかも知れませんが、自身の
経験から広島の人だったらありうるかもと思いました。

数年前の広島〜松山に向かうフェリーの中でのことです。二等船室にいた際、
近くに親子 3 人連れの家族がいました。昼時のことなので、高校生くらいの息子さんが
船内の売店にお弁当を買いに行きました。帰ってきた息子さん曰く、「弁当が
3 つしか残っていなかったから2つ買ってきた。残りの 1 つは他の人に食べて
もらわないかんけん。」と言ったのです。

それに対して、親は叱るでも褒めるでもありませんでした。東京人の感覚から
すると「最後の 3 つゲット、ラッキー」という言葉は予想しても、先のような言葉は
想像すらできませんでした。

たった 2 つの例から広島県人のメンタリティーを窺うのは短絡的かもしれません。
しかし、実際に自分が聞いた普通の高校生の発言からすると、広島の方の
メンタリティーはそういうものなのかなあと、先の新聞記事の話にも得心しました。

この話を愛媛県人のカミさんにしたところ、最後の 1 つを残すのは分かるような
気がするとのこと。「でも、仁義なき戦いも広島でしょ」ですって。


5月5日 デッド・ボール

何かの本で読んだのか定かではありませんが、いつの頃からか自分に起きる
できごとを、自分を打者、神様を投手にたとえて考えるようになりました。対処が
難しいようなことが起こると、神様が難しい球を投げてきたという具合に心の中で
思うわけです。
大抵のできごとは空振りするわけにはいかないので、何とかバットにあてるの
ですが、うまく対処できればヒット、できなければアウトです。

40 歳を超えたあたりから癖球が増えたように感じていました。一般的に考えると、
40 歳を超えると厄年という言葉があることからも分かるように、自分の体調不良、
配偶者の体調不良、老齢の両親介護、仕事上の問題、子供に起因する問題などが
増えてきます。ところが、最近は癖球どころかデッド・ボールが多いと感じるように
なりました。しかも、球と球の感覚が短いか、1 球目をよけたところを狙って 2 球目が
くることもありました。

先日もデッド・ボールをくらっていてうめいていた時に映画「インビクタス」を見ました。
クリント・イーストウッド監督のネルソン・マンデラ大統領がテーマの映画です。
劇中でマンデラ大統領が、投獄中に支えとした詩の一節「私が我が運命の支配者、
我が魂の指揮官(I am the master of my fate: I am the captain of my soul.)」を
紹介していました。これを聞いて、少しだけ気の持ち方が変わりました。

自分の身に降りかかる出来事がコントロールできない点では変わりありませんが、
降りかかった際に、あくまでも自分がゲームの主体と考えると被害者意識をもたずに
済むように感じました。これからも難しい球が来ることは想像にかたくないものの、
ゲームを作るのはあくまでも自分という意識でバッター・ボックスにいたいと思います。



5月5日 アストロスパイ

これは NHK の衛星放送で少し前に放映された「アストロスパイ - 米ソ偵察衛星
開発競争」という番組に触発されて書いたものです。

本題とは異なりますが、BS 世界のドキュメンタリーというのは実に面白い番組を
多く放映していますね。元々 NHK のドキュメンタリーが好きなのですが、このシリーズ
は興味がつきません。

宇宙ものといえば、米ソが争って打ち上げを競った、アポロ計画、ソユーズ計画が
有名です。その背後で偵察衛星の争いがあったという話です。偵察衛星というと、
最近の話に聞こえます。しかし、60 年代にも計画がされていたんですね、これが。

元々、空からの偵察は偵察機で行っており、高高度から撮影をすれば比較的安全
とアメリカが思っていたところ、U2 偵察機がソ連で撃墜されてしまいました。ここから
さらに安全な高高度、すなわち宇宙からの偵察を計画したというのが事の発端です。
今は恐らく無人で偵察衛星を運用していると思われますが、当時は人間が取捨選択
をして、重要な箇所は人間がさらに詳細な写真を取ることで、偵察能力を高めようと
したわけです。
アメリカでは、アポロ計画と同じように軍人から宇宙飛行士候補を選抜して訓練を
行っていましたが、最終的には予算が打ち切られたため、飛行には至りませんでした。

冷戦状態にあった当時のソ連はアメリカのこのような動向を把握しており、対抗策を
計画しました。驚くことにソ連は有人偵察衛星を打ち上げていました。結局、3回ほど
打ち上げてそれ以降は打ち上げませんでした。
原因は、飛行士の変調だそうです。ミッションの最中に機器の故障により停電して
しまい船内が数時間真っ暗になりました。これで飛行士が精神的に異常をきたした
のが原因だそうです。
元々、機械より人間を乗せた方がより正確だろうという理屈から有人にしたわけですが、
その人間の理由で、廃止にせざるを得ないというのが皮肉です。

アポロ計画でもあまり積極的には報道されていませんが、本を読むと計画後半の 14 号、
15 号あたりになるとヒューストンに反抗的な飛行士も登場したことが分かります。
元々、肉体、能力、精神力が優秀な人が飛行士に選ばれているにも関わらず、
異常とはいかずとも、想定しない状態になってしまうというのが宇宙という異常空間の
なせる技でしょう。

私がもっとも驚いたのは、アメリカの偵察衛星を打ち落とすためにソ連が装備したという
機関砲です。アメリカのレーガン大統領が抱いたスター・ウォーズ構想は 80 年代の
ことであり、レーザーも実用域に入ってきましたが、この話は 60 年代のため、それが
せいぜいだったのでしょう。宇宙という、ものすごく科学の粋をこらしたところに、
機関砲と聞くと漫画チックに聞こえます。さすがにソ連も有人の状態での試験は
危険性が高いと判断したのか、発射試験は無人で行ったといいます。実際に発射
できたそうですが、すごいのかどうかよく分かりません。

航空機の歴史もそうですが、生き残った機体、技術の傍らには後から思うと滑稽な
技術が山のようにあります。この話もまさにその一つのようです。