ポール・ロッシュ



BMW AG の HP からダウンロードした画像です。
前ページからの続きです。

写真の手前がポール・ロッシュ、奥がアレキサンダー・フォン・ファルケンハウゼンです。ファルケンハウゼンは 4 気筒の M10 エンジン
の開発者であり、この親方のもとで弟子のポール・ロッシュがモーター・スポーツで輝かしい戦歴をあげることになります。

European Car」という Web で調べると、ポール・ロッシュは、「モーター・スポーツ・レジェンド」、「BMW エンジン・キング」などの
称号がついていますが、「カムシャフト・ポール」というニックネームがついていることからわかるように、もともとカムシャフトの
専門家です(POP 吉村みたい!)。

とはいえ、最初からカムシャフトの専門家だったわけではなく、大卒で入った当時、数学はできたけれどエンジンのことは何一つ
知らなかったと言ってます。ある日、親方のファルケンハウゼンから、「カムシャフトの計算はできるか」と尋ねられ、「ええ、できます」と
答えてから、バイクで慌てて町にカムシャフトの設計に関する本を買いに行ったといいますから、まるでコメディーです。

M10 エンジンのチューンアップによるツーリング・カー・レースでの成功に始まり、F2 のチャンピオン獲得、F1 でのターボ・エンジンに
よるチャンピオン獲得まで、私達が知っている 60 年代から 70 年代のすべての BMW レース・エンジンに関わっています。

今でこそ、どこの F1 チームも行っているテレメトリー・システムも、ポール・ロッシュが 1980 年代初頭にブラバム BMW の開発時に
最初に導入しています。ドイツの MBB (メッサーシュミット) がヘリコプターの製造用にテレメトリー・システムを持っていると聞きつけて、
その機器を購入しました。とはいえ 1981 年のこと、IT も今ほど洗練されていないので苦労がありました。

最初は、機器をフォード・バンに詰め込んで、レーシング・カーを追ってサーキットの回りを周回したり (無線の範囲が狭かったため?)、
地上 30 メートルの高さにアンテナを付けたアドバルーンを上げて警察に制止されたりしたそうです。しかし、その甲斐があって
ターボ・エンジンの技術を習得し、計算上では最大で1440 馬力まで出せるようになりました (これについては、「その馬力じゃ 1 周しか
もたなかった」とか、「計測器では 1280 馬力までしか計測できなかった」とか発言してます)。

さらに面白いことに、レース活動縮小後、BMW 初の 2.4 リッター・ディーゼル・エンジンを開発し、それが、1985 年製の
リンカーン・コンチネンタルに搭載されたなんて書いてあります。「ヘェー」ですね。

さらに、「ヘェー」なのは、M5 についてです。俗説で、レーシング・ドライバーが日頃使用するために開発されたことになっているそう
ですが(知りませんでした)、実際は、BMW 社のクーンハイム会長のボディガードからの要請がもとだそうです。クーンハイム会長は
ターボの付いた 7 シリーズに乗っており、5 シリーズでは追いつけないため、ボディガードが 5 シリーズをポールのもとに持ち込んで
何とかするように頼んだとなっています。
ターボの付いた 7 シリーズといえば745i がありますが、この話は 1980 年初頭のことになっていますので、会長が 745i に乗っていた
のか、それとも製品化される前から会長専用車にはターボが付いていたのかは分かりません。いずれにせよ、ここでいう M5 は
E12 になります。

ポールさんの、レース熱は収まるところはしらず、1990 年代には V12 気筒エンジンのマクラーレン F1 でルマンに 2 回優勝し、
2000 年には V10 エンジンを擁して F1 にカムバックしています。かれこれ 40 年にわたって BMW のレースに関係していたわけ
ですから、冒頭の「「モーター・スポーツ・レジェンド」、「BMW エンジン・キング」という呼び名は納得できます。

E21 の M60 6 気筒エンジンは、こんな方に設計されたわけですから、320-6 乗り、323-6 乗りの方にはたまらないでしょう。
(2014 年 7 月 13 日)